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中.高部活 その5 [部活動]

 そんなことで、気がつけば柔道部に入部してかれこれ5年が経っていました。
うちの学校は一応受験校でしたので、高三になると実質部活は引退します。したがって高二が事実上部活最後の年となります。今まで弱すぎたので昇級試験を受ける気にもならなかったのですが、一応柔道部に入った記念に級でも取っておこうかなという気になりました。同級生は昇級試験を受け、まず手始めに二級、一級そして初段を目指して試験を受けていました。自分は同級生の中でも一番弱かったので、級など取れるか大いに不安でした。
 ただ高一、高二になると胸板もそれなりに厚くなり、特にお尻の出方は異常なくらいになっていました。また以前ほど投げられたり、抑え込まれたりすることもなくなりました。
 自分は弱かったのをカバ-するために、まず組み手を右から左に変えました。丁度顧問のM先生が左利きの変則スタイルだったので、それを真似たのです。また柔道着も小さめのものを着て、相手に容易に掴まれないように工夫しました。また寝技では体格差がモロに出ますので、自分優位の体位となっても決して抑え込みにかからず、寝技で勝負せずうまく逃げるようにしました。もうひとつこれはセコいのですが、いわゆるの技のかけ逃げです。これはどういうことかと言いますと、たとえば背負い投げをしようとした時、本来ならば膝を十分に落とし、襟足を十分に握り相手を引きつけて技をかけるのですが、うまくいかないと相手に倒され抑え込まれてしまう危険性が多分にあります。
 それを避けるために、返されない程度に技を仕掛ける、簡単にいえば技をかけたフリをするというものです。何故そんなことをするかというと、ただ防戦一方では審判からの印象も悪くなるからです。一応攻めたフリをしないと試合では当然不利になります。
 こうして私は勝てないけれども負けない柔道(もちろん本来の柔道ではありません。邪道だということも十分承知しています。)を心がけ実践しました。すると本当になかなか負けなくなるのですね。かなり体格差があり、また有段者とやっても何とか格好がつく柔道になっている。
 そうして少し自分に自信もつきましたので、いよいよ昇級試験に臨みました。二級は一応自分でもすんなりパスしましたが、問題は一級です。三人の相手と試合しその結果及び内容によって合否が決まります。
 私は引き分けグセがついていました(?)ので、三試合とも引き分けでした。一回も勝てなかったのでどうかな、と大いに不安でしたが、結果は合格でした。続いて初段の試験です。多くの同級生は黒帯つまり初段の試験にパスしていました。自分も柔道を始めて5年、初段くらい取らないと柔道をやっていたことをみんなに言えない、と思い必死で初段の試験に臨みましたが、いかんせんセコい引き分け柔道スタイルをとっているので、引き分けができても相手に勝てません。結局1敗2引き分けで不合格でした。
 やはり技を磨き得意技を作ることが重要なのです。自分は一本背負い、小内刈り、大内刈りという技を持っていましたが、得意技と呼べるほどのレベルではなく結局一級が精一杯でした。
 でも言い訳になりますが、スポ-ツそれも柔道というハ-ドなスポ-ツを通して、あの病弱な私が風邪すらひかなくなっていましたし、また薄かった胸板もいつの間にか人並み以上に厚くなり、お尻、太ももをパンパンに張って一応スポ-ツをやっていた体格になりましたから、自分としては当初の目標は十分達成できて満足しています。
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中・高部活 その4 [部活動]

 M先生に言われて当時52キロ近くあった体重を減らすべく1週間ほど食事の量を減らし、何とか50キロ近くまで減量しましたが、50キロをきるまでには至りませんでした。
 そして大会の当日を迎えました。私も結構楽観的な所もあるいい加減な人間でして、まあ50キロを多少オーバ-したって何とかなるだろう、まさか失格なんてことはあるはずがない、とタカをくくっていました。
当日の朝M先生に再度念を押されました。「おい小池、キチンと50キロ以下に落としてきたんだろうな?」と。「まあ何とかその近くまではいっていると思います。」と返答すると
M先生から雷が落ちました。「バカ者。体重が50キロに落ちるまで、校庭を30分走ってこい!」そんな無茶な、これから試合を控えているというのに、トホホ....。
 結局30分もランニングをさせられ、ヘトヘトになった状態で計量に向かいました。
ところが何とそれでも50キロを僅かにオーバ-していたのです。計量計を見て、M先生はこう言いました。「仕方がない、最後の手段だ。おい小池、お前パンツを脱げ!」
 エ-ッ!いくら男しかいないとはいっても恥ずかしすぎる。そうしてもじもじしていると、再びM先生「何をモタモタしている、試合までもう時間がないぞ!」とゲキが飛び仕方がないのでもうヤケだ-、オールヌ-ドで計量計に乗りました。試験官もそこまでするか、という顔をして、「もういい、パス。」と言ってくれました。後で聞けばそれでも50キロをオーバ-していたようです。同情されてなんとか試合には臨めました。ヤレヤレ。
 さて肝心の試合ですが、2回戦は突破、そして3回戦に臨みました。2回戦を終えた後さすがに体重別は楽だ、何故ならいつも自分より10キロ以上重い相手とやっているのですから。ひょっとしてこれはいいところまで行かれるかもしれない、しめしめ、と気を良くしていました。
 3回戦の相手は私より5センチほど身長は高く、私以上にちょこまか動く相手でした。組んですぐに分かりました。コイツは結構強いと。それでも何とか相手の動きに惑わされないよう必死に食らいついていきましたが、敵もさるもの。よりスピ-ディ-な動きで技をとられてしまいました。一本ではなかったのですが、確か小内刈りで足をひっかけられ畳に転がされました。
 結局そのまま試合は終わりました。終わった瞬間長い一日が終わったという脱力感に襲われました。M先生には、あのランニングがなかったらひょっとしたら勝てたかも、と慰めの言葉はもらいましたが、自分自身が一番分かっています。組んだ瞬間勝てない相手だと。でもよい経験でした。いくら層が薄い階級とは言っても一応学校の代表として参加できたこと。
 それからは柔道も前ほどキライではなくなりました。
 第4回目に続きます。

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中・高部活 その3 [部活動]

 私の出身校である私立聖光学院は昭和33年に設立されたカトリックの学校で、校長はカナダ人です。我々が第11期生で著名な先輩には、あの天才的ア-チストであるオフコ-スの小田和正氏がいます。まだ当時は歴史の浅い学校でしたが一応受験校でしたので、、スポ-ツはお世辞にも活発とは言えず、柔道部の練習も週2日でした。
 それでも自分にとってはその週二日の練習日がイヤでイヤでたまりませんでした。
 ちっとも強くなれず、乱取りでは投げ飛ばされてばかり、また寝技でも臭い柔道着の匂いでクラクラしながら締め上げられて苦しんでいた、あのつらい部活の日々。中学校の部活の日々はまさに灰色そのものでした。
そんな悶々とした部活の日々が続いていましたが、気がついてみれば 自分も高校生になっていました。そんな折わが 柔道部に新しい顧問の先生が入りました。M 先生の登場です。
M先生はY先生と違い、小柄で身長165センチ程度、体重も70キロ程度と一見チビデブの冴えない風貌の先生でした。因みに段は柔道3段とのことでした。この先生の登場で私は柔道に多少の安堵感を覚えました。何故ならM 先生はY大学出身ですがその大学は柔道が大して強くもなく,またM先生も体格が小柄で決して威圧感のあるタイプではなかったからです.(尤もM先生は腕力だけは半端ではなく,まさにポパイ状態でした.)
 M先生は私をかわいがって,というよりもシゴいてくれました.体格が小柄で似ていたからでしょうか,それとも私をMキャラと思ったのでしょうか?
 いずれにしてもM先生が顧問となってから,私が練習試合に駆り出される機会が増えました.こんなに弱い生徒に恥をかかせて欲しくなかったのですが,M先生はお構いなし.
 そして私が高校2年の秋,自分にとって珍事件が起きたのです.それはわが聖光学院が神奈川県大会にエントリ-し,予選大会に藤沢まで遠征したとの事でした.
 団体戦にエントリ-し,私はトップバッタ-つまり先鋒でのエントリ-でした.団体戦は体重別で勝ち負けを競う大会であり,私は手薄な最軽量級の先鋒にエントリ-する事が決まったのです.抜擢といえばえば聞こえは良いのですが,他に候補者がいなかっただけの競争無しの選手としての選出ですからいかにうちの柔道部が弱かったか,ということです.
 最軽量級の体重制限は50キロ以下であり,当時私の体重は50~52キロでしたから,少し体重を落とせば良かったのでした.エントリ-後M先生からは,技を磨けとかいう指示は全くなくただひたすら体重を落とせという指示でした.
「お前はちょこまかしているから,相手には案外機敏に映り,まして組み手が左なので変則的だから相手がやりにくい.だからお前は今から技を覚える事はしないで良いからひたすら体重を落とせ.」
 そう言われても自分としては,全く期待されていないのが見てとれたので,体重を絞ることにどうも真剣にはなれませんでした.そしてその珍事件が起きたのでした.
 続きは次回にまた

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中.高部活 その2 [部活動]

 こうしてとんでもなく憂鬱な部活がスタ-トしました。入部したときの同級生は確か10名ほどだったかと記憶しています。
 最初の練習は受け身です。相撲で言えば蹲踞の姿勢(但し足は閉じていますが)から後方へ倒れ込みその際両腕で受け身をして、後頭部が畳につくのを守ります。
 ところが私は体が小さい上、小学校時代扁桃腺肥大で風邪を引くとすぐに熱が出てしょっちゅう学校を休んでいた病弱の子供だったため、体力もなく受け身をすればその都度後頭部を打ち付ける有様でした。喉の筋力がないためで、言ってみればむち打ち症状態です。他の同級生は事も無げに課題をクリアしていました。Y先生は、やれやれこの先が思いやられる、といった諦め顔をしていました。
 一番最初の練習から早くも追いてゆけないとは、と泣きたい気持ちでした。
結局私が第一関門をクリアするのに3ヶ月ほどかかりました。
 当時の自分は信じられないほど華奢で、長津田から横浜の山手駅まで通うにもやっとの状態でした。自分でも笑ってしまいますが帽子も制服もダブダブ、大きな手提げ鞄をやっとのことで持って毎日通学していたのです。まるで鞄が歩いていると言われたこともありました。
 通学にも大いに体力をすり減らして位ですから、放課後の柔道の部活はとてもキツく、部活の日に帰路に着くときには、重い足取りでトボトボとやっとのことで家にたどり着いたものです。 
今にして思えばそんなひ弱な自分がよく持ちこたえられたものだと思います。
 中学時代、柔道はちっとも上達しなかったけれども、自分でも知らないうちに体力だけは徐々についていったのでしょう。練習特に乱取り(色々な相手と試合形式で次々と組み手による稽古をすることです)はキツかったけれども、中三の頃には大分体力もつき余裕も出るようになりました。
 今にして思えば病弱な子供が、あのつらい通学そして部活をこなしたからこそ人並み程度に丈夫な体に変わっていくことが出来たと思うのです。文化系の部に入っていたらずっとひ弱に育っていたかもしれません。そういう意味ではつらい柔道部に無理矢理引っ張り込んだ先輩に感謝すべきなのかもしれません。
 柔道の部活の話しはまだ続きます.

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中.高部活 その1 [部活動]

 前回までだいぶ固い話題が多くて、自分も肩が凝ってしまいました。この辺でリラックスしたいと思います。
自分は小さい頃からろ体格はチビだったので素早しっこくはありましたが、運動神経は鈍くスポ-ツ全般がどうも苦手でした。ただ体を動かすのは身が軽かったせいか苦痛ではなく、かけっこは好きでした。
 そんな自分が中学校と高校生でやっていたスポ-ツは何と柔道でした。当時中学校に入りたての体格は今でも覚えていますがなんと華奢なこと。身長139センチで体重は30キログラムでした。最近の子供の体格でいえば小学校3~4年生並みの体格でしょうか。そんな私がなぜ柔道などという体格及び体力を要求されるスポ-ツを選んだか?
 それはうちの家の近くに私が受験した学校の先輩が住んでいて、その先輩から無理やり引っ張りこまれたからなのです。その先輩も体格は平均以下でしたが、なぜか柔道をやっていました。(といってもあまり強くはなかったようですが)
 自分は中学校に入ったら卓球部に入ろうと思っていました。何故かって?それは中学1年生の自分には卓球部がとても楽そうに見えたからです。真剣に卓球をやっている方は決してそうではないと思いますが、当時卓球を甘く見ていた同級生も大分いて事実卓球部に入部した生徒は20名ぐらいいたと記憶しています。それなのに先輩にしてやられた。
 入学して数日、私が部活の見学に卓球部に行こうと思ったら、そのU先輩と体育館でバッタリ。U先輩いわく、「おい小池、お前の入部を顧問のY先生に話しておいたから、今から柔道部に挨拶に行こう。」
 そんな-。頼んでもいないのに冗談じゃないよ。と大いに泣き言は言ったのですが、先輩はそんなのはお構いなし。腕をグイグイ掴んで離さず、無理やり私は部室に連れていかれました。これじゃ-拉致と同じではないか。
 部室にはごっつい顔をしたY先生が仁王立ちしていました。先生は私を見るなり、「こんな吹けば飛ぶようなおチビさんが練習についてこられるのか。」とU先輩に訊くのです。U先輩は「まあ大丈夫でしょう。私が責任を持って練習には参加させます。」などと答えて、私が答弁する暇もなくあれよあれよという間に入部が決まってしまいました。
 当時テレビでは桜木健一主演、吉沢京子がヒロイン、近藤正臣がヒ-ル役の「柔道一直線」が大ヒットしたおかげで、柔道人気がだいぶありましたが、自分はあんなにきつそうなスポ-ツをやろうなどとは全く思っていませんでした。
 あ-あ。この6年間の学生生活はこれでもう灰色だ。やっぱり入部は辞めます、なんて言ったらあの鬼のようなY先生にそれこそぶっ飛ばされるに違いない、と思うと怖くてとても言い出せませんでした。ちなみにY先生は日体大時代柔道部のエ-スで身長は180センチ以上で体重もゆうに100キログラムは超える巨漢でいかつく、顔も鬼のような形相でした。まさに最悪の学生生活のスタ-トでした。   
 続きはまた。
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