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農家、農業のあり方についてその15 [農業について考える]

 日本に対しては、今やアメリカからもアジア諸国からも、リーダ-シップを求める声が日々強くなってきていますし、経済的、技術的に世界に大きな影響力を持つ日本の力からして、そうした声は至極当然のことでしょう。
 平和主義国家である日本が世界に対して、リーダ-シップ、イニシアチブをとれる政策としては、世界で唯一の被爆国としての経験からの核拡散防止に向けた各種提言、そして今まで化石燃料を大量消費してきた先進国としての責任と、技術的に世界をリードする日本の技術力を生かしたCO2削減への本格的取り組み及び諸外国への提言でしょう。
 いつまでもアメリカの傘下であり続けようと思うのは、精神的な自立を放棄しているに他ならず、それこそ領土的には植民地化されなかったけれども、精神的にはすっかり植民地化されてしまった、そんなひ弱な日本に今のアメリカは逆に持て余している感が強く、またアジアを始めとする諸外国も苛立ちを持って苦々しく見ています。
 私は戦時中そして明治、大正時代を賛美するつもりはありませんが、少なくともその時代の日本人はもっと日本人であることに自信と気概を持ち、毅然としていたように思います。それだからこそ、西洋諸国が明治維新後に急に国力をつけて国際舞台に登場してきた日本に大いに脅威を感じ、潰そうとしてきたのではありませんか。
 今の脆弱な日本では、国際的に見ても尊敬され、一目置かれる存在とは程遠い状況です。あの雄々しかった日本人はどこへ行った、という印象で見られているのではないでしょうか。
 あまりナショナリズムを刺激すると、すぐに国粋主義だの軍国主義の復活を図るだの、言われますが、そうではなく日本人なら日本人の良さ、そして経験をもっと国際社会に発信し、そういう形で国際社会への貢献を図るべきではないか、と言いたいだけです。
 先に述べた各拡散防止に向けた取り組み、これこそ日本のあの悲惨な原爆体験がもっと生きるべきですし、ノーモアヒロシマ、ノ-モアナガサキをもっと強く核保有国そして核保有を目論む新興国に訴えるべきだし、それが出来るのは日本しかないという強い決意を持って諸外国に接して欲しいと思います。
 またCO2削減では、アメリカ、ヨ-ロッパ、日本といった先進諸国は便利さと引き換えに、化石燃料を今まで大量消費し、地球温暖化を招いた責任は重大ですから、中国、インドをはじめこれから本格的に近代化を図る諸国に対して、化石燃料に代わるエネルギ-の共同開発を図るなどこれ以上の地球温暖化を阻止すべく、本格的に、しかも緊急に政策を実行に移していく責任があります。

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農家、農業のあり方についてその14 [農業について考える]

 今のようになってしまった背景には、まずアメリカに対する過度の依存です。第二次世界大戦直後はまだ極東といわれる地域すなわち、日本の西には共産主義国家である中国とソビエト連邦が存在し、資本主義国家と激しいイデオロギ-闘争を繰り広げていました。
 日本海、東シナ海を挟んで大変緊迫した政治情勢でしたから、アメリカは日本を極東の最前線防衛拠点として位置付け、日米安保条約により日本とアメリカが強力に手を結び、中国やソ連といった共産主義国家に対抗したのです。
 また日本は明治維新以来、西洋に追いつけ、追い越せを合言葉にひたすら富国強兵に走り、その急激な領地拡大政策が軍国主義の元凶となったという強い認識がアメリカにあり、また日本人の集団主義が大いなる脅威であったことから、日本の牙を抜き、長所を徹底的に弱めてしまうべく、財閥解体、農地解放、家督相続の廃止、制度自由主義の導入など日本の国力を弱めて、個々に分離、分解する諸施策が講じられました。
 その結果、日本は全く骨抜きになり、平和という美名の下徐々に国力は弱まっていったのです。
 確かにあれだけ大きな戦争で、しかも日本全体が焦土化し、国民全体を巻き込んだすさまじく悲惨な戦いでしたから、もう二度と戦争はやるまい、もう戦争はこりごりだ、平和な日々に一日も早く戻りたい、と切望したのも至極当然のことです。
 そして日本は憲法9条で戦争の放棄を日本国民のみならず、全世界に宣言したのです。
 これでアメリカは大いにほっとしたことでしょう。集団主義で、まとまると手がつけられなくなる日本国民から全ての武器を取り上げてしまったのですから。
 さらにアメリカは日本人に自由主義を植え付けることに成功しました。
 軍事政権の下、その圧政に辟易していた日本人は、戦後日本に乗り込んできたアメリカ兵の豊かな物資に驚いたと同時に、自由闊達な姿にもあこがれました。
 身も心もクタクタになっていた戦後の日本人にとって、アメリカは自由の象徴であり、豊かな物質文明を謳歌するあこがれの国だったのです。
 こうして日本は永久平和宣言をし、日本全土が復興に向けアメリカの資本主義、自由主義をひたすら模倣し、今日までやってきましたが、家族制度を中心にその歪みがクローズアップされていることは前にも述べました。
 アメリカも第二次世界大戦直後は、極東における政治的緊迫状況が続いていましたので、日米安保条約締結により、日米が協力し一枚岩となって共産主義経済圏に対抗する意義は大いにありました。
 しかし共産主義経済圏の崩壊により、イデオロギ-闘争が失くなった今、アメリカの日本に対する期待も変わってきました。またアメリカ自体も自国に様々な問題を抱え、他国にまで目が行き届かなくなってきているのが最近の国際情勢です。
 戦後60年余り経ち、国際情勢が大きく変わってきてきているのに、日本はいつまでもかわいいひよこであり続けようとしています。
 諸外国が、特にアメリカがそして中国、韓国をはじめとする東南アジア諸国がそんな日本の姿勢に対して、大いに苛立っています。
 敗戦を糧に二度と戦争を犯すまい、という平和希求の考えを脈々と受け継ごうとしていることは大いに賛同できるにしても、平和と自由ボケで精神まで溶けてしまい、しゃきっとしていない、体に一本芯が入っていないのが、今の日本の姿です。

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農家、農業のあり方についてその13 [農業について考える]

 先日北朝鮮で核施設の一つである冷却塔が爆破されたニュースが大々的に報じられていました。そしてブッシュ米大統領はこの措置により北朝鮮をテロ国家から外すことを検討していることを明らかにしました。
 わが日本では、アメリカと北朝鮮との和解により、国家的拉致事件がこのまま放置されてしまうのではないか、との不安が高まっているようです。
 こうした一連の政治的行動を見て皆さんはどうお感じになりますか。
 勿論北朝鮮に核保有をやめさせるのはとても良いことだと思います。これ以上世界に核保有国が増えることは、脅威以外の何物でもありませんから。
 しかしこの報道を聞いて感じることは、日本のリーダ-シップの欠如です。
世界でただ一つの被爆国であり、北朝鮮とは日本海を隔てて位置するいわばお隣さんであり、国家的拉致事件の被害に遭っている日本が、もっと北朝鮮との交渉打開に向けて積極的に動かなければならない、と殆どの国民は思っているのではないでしょうか。
 日本は今や平和国家になり、この先永久に他国と戦わないことを宣言したのだから仕方がないのだ、だからアメリカに守ってもらわなければ、といつまでも甘えていて良いのでしょうか。
 と言っても私は戦争は勿論大反対ですし、右翼でもありません。私は、自分の国は自分たちで守るという当たり前の感覚で申し上げているのです。誰が見たって用心棒でもあるまいし、世界の警察を自負しているその驕り高ぶったアメリカに、いつまでもすがっていて良いのでしょうか、ということです。
 だから北朝鮮からは交渉しても肝心な事は決められないではないか、と甘く見られ、交渉の主体として半人前にしか扱ってもらえない、政治的になめられきっている悲しい日本の現実を傍観するしかないのです。
 経済的、技術的には世界をリードし、世界の模範としての立場にある一方で政治の貧困さは目を覆うばかりです。
 なぜこれほどまでに日本の国際的政治力が弱体化してしまったのか。
 それは平和憲法を選択したからだ、だから仕方がないのだ、とは私は思いたくありません。
 平和憲法の下でも、もっと日本が国際的に発言することはできると思うのです。


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農家、農業のあり方についてその12 [農業について考える]

 さて農地を何としても手放すまいと考える農家の方の考えも理解できますが、その一方で農地のより有効活用も図っていかなければならない。
 その命題を解決する術はあるのか。そう考えたとき、農地に対する納税猶予制度を緩和することで解決できないのかと私は思うのです。
 宅地であれば、借地権があります。つまり土地の所有者がその土地を自分で使用しない場合、その宅地を人に貸す。借りた人はその土地を占有し、その土地上に建物を建て使用収益を開始する。つまり所有と占有の分離です。
 借地借家法も改正され、普通借地権と定期借地権の二つができ、契約時に選択できるようになりました。
 この結果土地の所有者は、定期借地権契約を締結すれば一定期間後に土地が返還され、その後自分で使用収益ができるようになりました。
 農地の納税猶予制度においても、この制度が適用できないものでしょうか。
 というのも借地借家法、それも定期借地権を納税猶予した農地について適用できれば、農家は所有権を手放すことなくしかも一定期間後には更地で返還される。
 一方借り手側は、一定期間農地を自由に使用収益し、そこから十分な生産を挙げられる。
 勿論その一定期間は、借地権ではありませんがかなり長期間少なくても10~20年程度に設定すべきだとは思います。
 市民菜園の場合には借り手は一般市民であり、皆さん思い思いに農地を耕作し、収穫の喜びを実感されるでしょう。 借り手が大企業の場合には、より広大な農地に対してより効率的な生産活動を行い、我が国の食糧自給率の改善に大きく寄与するでしょう。
 この制度が導入されれば、高齢化が進み農業の担い手に苦慮しているが、農地を手放したくない農家の思惑と、農地の荒廃化が進む農地の現状を打開し、より農地に対しての有効活用を図ることができると思うのですが、如何でしょうか。
 特に都市近郊農家にとって、固定資産税、相続税の負担は極めて重く、農業を続けるか、それとも先祖伝来の田畑を手放して農家を辞めるか、という究極の二者択一を迫られているケ-スが多いのです。
 相続税について農地の納税猶予制度を設けたのは、あくまで自作農に限るという正論はよくわかるのですが、片や農地を形だけ維持している農家が多い一方で、市民菜園の需要拡大、農地の有効活用が十分図れていない現状を見るにつけ、所有者と利用者とのマッチングを図る制度の導入はまさに緊急かつ有効な対策ではないか、という思いを強くしています。、


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農家、農業のあり方についてその11 [農業について考える]

 相続税についての農地の納税猶予制度はよく、入口は比較的甘く、出口が厳しいと言われます。
 確かに納税猶予申請時は、これから営農する意思をしっかり持っていればあとは書類を整えるだけですが、出口すなわち20年後または申請人が亡くなるまでという、の遠くなるような期間農業を継続していることが絶対要件ですから、その苦労は並大抵のものではありません。
 人間は誰でも年老いてきて体もキツくなるし、病気になることもあるでしょう。また農業相続人を中心として一家で手伝うといっても、少子化で手伝い手で減ってくるし、第一跡継ぎが農業を継がないケ-スも出てきたら、老夫婦がいつまで経っても農業をやめられないことになってしまいます。
 また市民菜園など他の人に貸していたら納税猶予は受けられません。とにかく自分と自分の一家で、農地を20年間または農業相続人が死ぬまで維持継続しなければならないのです。
 農地を生産の場としている農家なのですから、農家を一生やりつづけての農業投資価格としての課税だ、と言えばそれは正論ですが、この少子そして何より高齢化が急速に進行している我が国の実態を考えれば、きつすぎるハードルではないでしょうか。
 またこういう見方もできます。それは農地の生産性の側面からです。
現在の納税猶予制度の下では、あくまで自分の農地は自分で守れという方針ですから、結果的に70歳、80歳の方が体にムチを打って働くことになりますが、こうしたお年寄りがいくら働いたところで、その農地からどれだけの農作物が生産されるでしょうか。
 自分たちが食べていき、そして親戚や近所におすそ分けをする程度の生産量しか上がらないとすれば、そうしてまで維持する農地は国にとって有益な農地と言えるでしょうか。
 ″たわけ者″という言葉があります。これは文字どおり田を分けるつまり分割することほど愚かな行為はない、という意味です。それほどまでに農耕民族である我々日本人は田畑を守り通そうとしたのです。
 ところが明治維新後急激に近代化され、就労人口も第一次産業である農林水産業から製造業を中心とした第二次産業そしてサ-ビス業、金融業、運輸業などの第三次産業へと大幅にシフトされてきた現代日本では、そうした土地に対する執着も薄れてくるのはある意味致し方ないことですが、農家にあってはその生産拠点である農地、もっと言えば土地全体に対する執着心は並大抵のものではありません。
 というのも私がかねてから申し上げているように、ご先祖様からの遺伝子がそうさせているのです。
 強欲でも何でもなく、土地を生産の場としてきたからこそ、土地を失うことは極端にいえば〃家〃を失うことなのです。
 ですから核家族社会が主流で、過去のご先祖様の生き方をよく知らない今のサラリ-マン諸氏が、余った土地は売れば良い、という感覚と、根っから土地に執着している農家の方とは全く土地に関する考え方が相容れないのです。
 私はどちらが正しいなどということを全く言うつもりはありません。
 私が言いたいのは、農業を営む方はそれほど土地を大事に思う考え方が、体中にこびりついている、そしてそれは先代から脈々と受け継がれてきている考え方であるということです。
 この事実を農業をやっていらっしゃらない方にも知って頂きたいということです。


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農家、農業のあり方についてその10 [農業について考える]

 次に税制面から農家、農業のあり方について考えてみます。
 私の住む横浜市緑区は,言わば都市近郊農家であり、土地の価格も高いので、農地を保全していくためにはどうしても納税猶予制度を活用しなければなりません。
 農地にかかる納税猶予制度は、贈与税と相続税とがあるのですが、概略説明しますと次のようになります。
農地は本来農作物を生育する生産の場であるべきなのですが、この辺りの農地は流通性もあります。その理由としては買い手側で単に隣地である農地を買って農地の拡大を図るといった理由から、収用事業(道路拡張事業や線引地域の見直しによる市街化区域への編入など)に対する思惑など様々な理由があるようです。
 また農地が市街化区域内に存する場合には、そうした区域は宅地としての利用を予定している区域ですから、農地であってもすぐに宅地に転用できるので、むしろ宅地としての流通性を前提とした土地価格となります。
 このように売買、流通を前提とした価格すなわち時価と、もう一つ純粋に生産の場としての農地の価格すなわち農業投資価格と、農地には二つの価格が存在することになります。
 農地を所有している農業従事者が死亡して相続が発生した場合、相続税の財産評価方法は農地に対しても時価計算することになっています。ただ時価といっても実際には国税庁の発表している財産評価基本通達の定めによって計算することにはなりますが、一応流通を前提とした価格によって計算します。
 その上で、農業後継者がもし先代の農業を承継し農家を続けていく意思があれば、農地を生産の場とした場合価格すなわち農業投資価格を計算します。
 そして先に計算した時価すなわち相続税評価額と、農業投資価格との差額に対応する相続税を一定期間猶予する、そしてその期間が満了したあかつきには、最終的に猶予していた相続税額を免除する制度です。
 ですから一旦は農地を時価計算するのですが、農地を永続して維持し耕作することによって結果的に,農地の評価は、本来の生産の場としての農業投資価格で評価されることになるのです。
 ただ猶予期間がきわめて長く、市街化調整区域内農地にあっては20年間、市街化区域内農地で生産緑地に指定されている農地にあっては死ぬまでの終身営農を要求されます。
 このように農地は営農を条件に、最終的には農業投資価格での評価となる結果、相続税が殆どかからないことになるとは言っても、最低20年間または死ぬまで耕作を要件とされます。
 さらにその上、条件違反すなわち農地以外への転用は勿論のこと、体力の衰えなどにより農地を荒らしてしまっても農地としての維持に違反しているとされた場合には、猶予された相続税は取り消されその上で何と原則6.6%の利子税が上乗せされるのですから、違反によるペナルティは極めて重く、現在の納税猶予制度は大変厳しい制度となっています。
 それでも私が関与させて頂いた農家の方々は殆ど例外なく,相続税について農地の納税猶予制度を選択されました。やはり先代の遺した農地を何がなんでも維持したい、農地を残したいという決意の表われです。



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農家、農業のあり方について その9 [農業について考える]

 再び農業の話しに戻ってコメントしたいと思います。
 農地の有効利用については、二つの問題があります。
 一つは農地から生み出される収益が低いため、農家経営そのものが成り立ちにくくなっている現実、そしてもう一つは農業自体が構造不況業種であるために起こる後継者難の問題です。
 その結果、日本全国で余っている農地が至るところで見られる一方で、日本の食糧自給率は39%まで低下しているという皮肉な現実。
 つまり農地はあれど、農業従事者が絶対的に不足している何とも勿体ない状態です。
 考えられる手としては、ひたすら農業従事者を増やすしかありませんが、ただでさえ低収益の農業では、今の農家に後継者が増えることは到底期待できません。また他業種からの転職者が新たな農業の担い手となる、という考えも農業自体が十分採算性の合う事業に転換しなければ、これも非現実的な話です。
 残るは大手資本の参入により、農地の有効活用を一挙に進める方法です。
 ただ大手資本の参入によって、中小零細農家が一網打尽になる危険性があります。ただでさえ少ない農業従事者がさらに減ってしまうことも予想されます。
 それと農業については、資本主義になじまない部分が多分にあるので、国と民間大手資本とが共同出資して農事法人を作り、地元の農家の農地を一括借上げし、さらに地元の農家の方を雇用して、大規模農業を行う手法はどうでしょうか。
 国と民間大手資本との出資割合は、国が50%以上持つことによって経営が安定し、場合によっては国の持つ株式を、一般の国民に引き受けてもらう。そして出資者には一定割合の配当を約束する。
 私は経済が専門ではありませんのでよい智恵は浮かびませんが、ともかく日本全国に点在する遊休田畑をフルに活用して穀物、野菜などを生産し、少しでも食糧自給率を上げる努力が早急に必要だと思います。
 と同時に、輸入農産物に関税をかけ、国内農業が十分に再建されるまで、国が手厚く保護していくことが必要不可欠であると思います。 
 貿易摩擦の問題については交渉が難航することが予想されますが、事が事つまり食という人間が生きていく上での根幹にかかわる問題だけに、多少の不自由、多少の不都合は甘んじて受け入れなければならないのではないでしょうか。

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農家、農業のあり方について その8 [農業について考える]

 農業政策については日本米の減反政策が有名ですが、確か小麦、大豆、野菜、果実、乳製品など国内の価格維持のための政策は殆どとられていないように記憶していますので、基本的に全ての農産物が海外からの輸入商品と価格及び品質の競争をしていかなければなりません。
 政府が市場に何ら介入せず自由競争に任せることは、消費者にとってはより品質の高い物がより安価で手に入るということになりますので、大いに喜ばしいことではあります。
 しかし近年、食の安全性が声高に叫ばれるようになってきました。
 中国野菜、米国牛などを始めとする諸外国からの輸入食糧の中に、健康を脅かす農薬を大量散布した野菜や病気を持った家畜の肉が混入する恐れがあるなど、市場原理に任せているとより安価、より大量生産を求めるあまり、人体に大いに悪影響のある農産物が次々と生産される心配がありますが、それが現実となってきたのです。
 鳥インフルエンザについては、近い将来パンデミック現象が確実に起き、鳥対人から人対人に感染するインフルエンザに変異すると言われています。
 遺伝子を組み替えたり、大量消費のための大量生産に走ったツケがいよいよ我々人間を襲おうとしています。
 まさに神の怒りというべきか、遺伝子レベルまで人間が入り込んだその報いなのでしょうか。
犯すべからざる神の領域に踏み込んだ報いなのでしょうか。
 しかしことここに至っては、食の安全性とより真剣に向き合っていかなければならない時代に来ていることは間違いありません。
 いつ何時諸外国から穀物、野菜、果実、肉類、魚介類、乳製品が輸入できなくなるか分かりません。それは諸外国の農産物の安全性に問題があるからという理由もあるでしょうし、今まで輸出をしていた諸外国が、自国で消費するようになったため輸出を取りやめたという理由もあるでしょう。特に食に対する不安が世界的に広がれば、世界中の国々がまず自分たちの国民への食糧確保に当然走りますから、急に明日から輸入がストップされ、パタッと農産物が入ってこない危険性がかなりあると思います。
 戦国の世の中でも一番利くのが兵糧攻めでした。貨幣経済なんて脆いもので、食糧難、飢饉になれば、一切れのパンの前には、一万円札もただの紙っぺらになってしまうのです。
 お金があれば何でも解決できる、という拝金主義が今の日本には蔓延しているのが怖いのです。
 私は、昭和31年の生まれで、生まれてこのかた食糧で苦労した経験は全くない恵まれた生活を今まで送ってきました。(ゴメンナサイ)
 戦前生まれの方々は、食糧の有難味を骨の髄まで知っていらっしゃると思います。
 そういう方々が今声を大にして、食糧危機の悲惨な状況を語っていただきたい。
 そうでないと、平和ボケしている現代日本人は、ミャンマ-や中国四川省で起きている食糧飢餓についても、対岸の火事と思っていて現実感がないのんびり屋ばかりなのですから。勿論私も含めて。
 危機管理と言いますが、政府は有事に備えた食糧政策を打ち出し、少しでも早く実行していくべき時期に来ていると思うのです。食糧ではありませんが昭和49年当時のトイレットペ-パ-買い占め騒動でもあったように、国民全体が社会不安に煽られるのが一番怖いので、国民に安心感を与える施策を一日でも早く実行して欲しいと切望しています。


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農家、農業のあり方について その7 [農業について考える]

 大分そうして食文化に関しては、ようやく欧米離れ、というか欧米崇拝の呪縛から解き放たれたのですが、それ以外の部分ではまだまだ欧米、というよりアメリカを追いかけています。
 アメリカと日本は、片や民族の坩堝といわれるほど民族の寄り合い所帯であり、片や単一民族という差はありますが、アメリカが格差社会の拡大、銃社会で治安が悪い、世界の警察を標榜しても世界の治安を改善するどころか却って悪化している国際情勢、地球温暖化に対しても国内産業の保護を優先させる身勝手さなどを冷静に見回しても、もはや模範となる国と呼べるでしょうか。
 戦後日本に自由主義と資本主義をもたらした功績は大変大きいですが、その行きすぎた自由主義、資本主義に行き詰まっているアメリカを見ても、なおこの上わが日本はアメリカの文化を輸入していくのでしょうか。
 日本はアメリカのやることの後を追いかけている、と言われます。そのアメリカの現状を見るにつけ、日本も将来今のアメリカのようになりたいのでしょうか。
 日本人には日本人としての文化があり、歴史があり、風土があります。
 それは世界中のどこの国とも違う。だとすればそろそろ文化の輸入は卒業して、江戸時代以前の日本独自の文化をX再構築するように方向転換すべきではないでしょうか。
 今やアメリカも、戦後負けた当時の日本に対して期待していたことと今の日本に期待することとは大きく違っていると思います。
 世界もそうです。私には、世界が今の日本に最も期待しているのが、「精神的な自立」だと思うのです。
 依存体質を卒業して真の大人としてモノ申すことのできる、そして国際社会に対してはっはり意見を言い、特に環境、平和問題など世界をリ-ドする位の気概を持って欲しいのです。
 それにはやはり教育です。子供一人一人からその気持ちの持ち方、心の在り方などしっかり教えていかなければ。そしてそれには当然過去の歴史をありのままに見つめ、日本人としての特質、長所及び短所などをよく理解することが必要です。
 勿論食生活は和食中心。
 長く脱線しましたがようやくここで農業の話しに戻ってきました。、


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農家、農業のあり方について その6 [農業について考える]

 戦後の世代は軍国主義政権の下、言論の自由が奪われ、家制度が強く個人の自由が抑圧されていた不幸な時代であり、自由を渇望していましたから、戦後アメリカが乗り込んできても、そのアメリカの自由主義にあこがれ、アメリカ追従となっても致し方なかったと思います。
 「自由」という言葉は美化され、自由と言っていればなんでも許されるそういう風潮でした。
 しかし、これだけ自由を堪能した後に待っていたのは、極端な個人主義、利己主義による組織の破壊です。社会の最小単位である家庭からヒビが入り、親がわが子の言動をセーブできなくなりました。その結果、学校でも社会でも辛抱の利かない子供、若者たちが、日本全国のいたる所でいたる局面で、何とも暗く痛ましいさまざまな事件を起こしています。 
 私は自由を否定するつもりは毛頭ありません。
 しかし、自由を美化し、欲望の任せるままに一人一人が進んだらどういう結末になるのか、もういい加減に理解すべきではないでしょうか。
 権利の裏には義務があるように、自由も社会規範に反しない範囲でという限度が自ずからあるのです。
 人間は社会的な動物なのです。太古の昔から。いくら自由で個人個人を大切にすると言っても、社会あっての個人であるという一番大事な点を、子供の頃から叩き込んでおかないと、後でとんでもないことになると思うのです。というよりも今の日本社会はすでにその因果が現われているといったほうが正解でしょうか。
 明治維新以来西洋文化を全面的に輸入してきた我が国ですが、食文化については、ここ10年ほど前からようやく和食回帰の流れとなってきました。
 腸の長い日本人には肉食特に動物の肉食は合わないことが分かってきたからです。
 やはりここでも遺伝子が決めたのです。何千年もの前から日本人の体内に宿っていた遺伝子は、ここ100年ほどの飽食、そして欧米食をはっきりと拒絶しました。私も含めて現代日本人の多くが罹っている生活習慣病はその事実を如実に物語るものです。
 やはり農耕民族は農耕民族らしく、米と野菜と魚、これが一番我々日本人の体質に合った食事だったのです。


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