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勤務税理士時代を回顧するその21 [勤務税理士時代の回顧]

 逃げたことも十分に分かっていながらなす術がない、そうした状態を放置せざるを得なかった自分に対して大変に忸怩たる思いでした。
 その苦い経験をこのままで済ますものか、この未熟な自分を到底許すことはできない、どこかでこの無念を晴らしたい気持ちが、長い間自分の心の底にずっとわだかまっていました。
 そのチャンスが訪れたのが、今のうちの職員である古澤君と伊藤さんが相次いで入所してきた年、つまり平成14年でした。
 その年はうちの事務所にとっての最初の正社員である高橋君が辞めて、事務所が大幅に戦力ダウンした年です。
 うちのような小さな事務所では、一人一人の職員にかかる負担は大きく、一人が辞めてもすぐに他の職員にしわ寄せがきます。
 当時は正社員は高橋君のみで、あとの二人の職員はパートでしたから彼の退職に伴う影響は大変に大きいものがありました。
 直ちに求人募集を行いましたが、事務所の方針として色のついた会計事務所職員(色眼鏡で見てスミマセン、i事務所での苦い経験でトラウマになっているのかもしれません)よりも、色のついていない会計事務所未経験者を雇用する、ということで古澤君を採用しました。
 また11月には庶務パートのsさんが辞めることになって、その後釜として伊藤さんが入ってきました。
 残念ながら平成7年に私が事務所を開いてから7年間、新規開拓に追われ事務所の運営は後回しになっていたので、i事務所での副所長経験を生かす機会はありませんでした。
 この二人が入ってきてからみるみる間に事務所は安定してきました。
 とにかく二人とも真面目で努力家です。入所してから2~3,年間は仕事の処理スピードはお世辞にも早いとは言えませんでしたが、丁寧に仕事をこなしてくれる。また私のきつい指導にも素直に応じまた必死に応えてくれようとしているのでとても助かりました。
 今や二人はわが事務所にとって貴重な戦力となってくれていますが、古澤君はあと一科目に迫った税理士試験合格そしてその後の独立の問題、そして伊藤さんは主婦であるための労働時間の制約の問題などそれぞれに個人事情がありますので、いつまでも二人におんぶにだっこしているわけにもいきません。
 そう考えるとこの事務所が安定している今こそ、次に入ってくる職員の教育のためにも、かねてからの懸案事項である事務所管理体制の構築を図ろうと、iso導入に踏み切ったのです。




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勤務税理士時代を回顧する その20 [勤務税理士時代の回顧]

 ブログ投稿が一週間以上空いてしまいました。
それは、8月13日から21日まで、鼻の手術で入院していたのが原因です。
今回が初めての入院でしたが、入院生活についてはまた別の機会にブログでコメントしたいと思います。
勤務税理士時代の回顧は今回で20回にも及ぶ長編連載ですので、飽きてきた方もいらっしゃるとは思いますが、あと2~3回でこの連載も終わりますので、もうしばらくお付き合い下さい。

 当時の私は、所長と職員との間に入って、所長の考え及び意向を職員に伝え、事務所内部を統率するという副所長としての役割を全く理解しておらず、事務所内部の運営は全て自分に任されたものと勘違いをしていました。
 従ってあくまでも自分のやり方にこだわり、それがうまくいかないと見るや途端に、一担当者に逃げ込んでしまうという最悪の行動をとっていました。
 そうした私の体たらくをじっと観察されていたI先生は私を諭すように言いました。
 「小池さん、やっぱり私の思った通りになったでしょう。会計事務所の職員を使いこなすのは、一筋縄では行かないのよ。」
 まさに先生の言うとおりでした。
 と同時にそれを知ってからは、もはや職員を教育するのは無理と判断し、職員教育を諦めてしまったのです。
 いやはや若気の至りとは言いながら、あまりにも稚拙で身勝手、極端な己の行動に我ながら呆れかえるばかりです。
 今うちの事務所でやっているISO9001とか作業日報などは、i事務所時代の苦い経験をもう二度と繰り返すまいという決意の下に始めたものです。
 失敗の経験が今生きているという点では良い経験をしたということになるのでしょうが、i先生に多大なるご迷惑をおかけした上で今があるのですから、大変にバツの悪い思いは消えません。
 ただ一つだけ自分のことを褒めるとすれば、その時点、その時点で自分の気持ちに嘘はつかなかったことです。未熟な自分ではありましたが、その時点での自分の能力を最大限に発揮したつもりです。
 精一杯やったからこそ失敗すれば大変に悔しい思いをし、何故失敗したかを何度も考え、次には雪辱を期す。そうした経験が大事なのではないでしょうか。
 失敗は誰だって厭だし、好んでする人は一人もいないでしょう。でも人間は否が応でもどこかで失敗をするし、修羅場を経験せざるを得ないのです。

 その時にどう失敗と向き合っていくか、だと思うのです。

 確かにあの当時の私は周りをよく見ず、己の狭い見識にこだわつて事務所を混乱させるという大失態を犯しました。それどころか挙句の果てに開き直り、実質的に副所長としての仕事を放棄するという暴挙に出ました。
 あの時逃げたことは事実です。しかしあの時点での自分の管理能力では到底職員を抑えきれない、あの時に自分が事務所に対して出来ることは、ひたすら一件でも多くの担当先の監査業務をこなしていくことだと心底思っていましたから、結果的に副所長としての業務を放棄したとしても、仕方がなかったと思っています。
 元々管理能力がないのに俄か勉強で管理能力が身に付くほど甘いものではありません。
 ですから捲土重来は期すけれども、あの時には到底できなかった。
 職員が入れ替わり立ち替わりしていましたから、お客様にご迷惑をかけないためには、ひたすら今目の前にある仕事を処理していくしかなかったのです。本当にあの時は、片や事務所内部を束ねて安定化させていく仕事と、中途退職職員の担当先を引き継いで月次監査および決算に遅れを生じさせない担当者としての仕事の挟間の中で、もがき苦しんでいました。


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勤務税理士時代を回顧する その19 [勤務税理士時代の回顧]

 そんな状況でしたので、私がI事務所の副所長になってからは番頭としての内部統制が行き届かず、その結果事務所全体が雑然としてしまいました。
 I先生はT、I先輩の退出による戦力ダウンを埋めるべく、税理士試験合格者や税理士試験一部科目合格者を次々に雇いましたが、逆にこうした人たちは仕事に関しても自分流のやり方を持っていたため、かえって私の提唱する業務の標準化に入所した当初から大いに反発し、これも事務所の内部が混乱した原因の一つとなりました。
 尤も元をただせば、私の管理能力の欠如が最大の原因でありますが...。
 I事務所もT、I先輩がいらっしゃる間は、職員の入れ替えも少なく安定した事務所でしたが、私が副所長になってからは、退職者も多くそれに伴う職員の補充も当然ながら多くあったため、事務所が落ち着かないことこの上ありませんでした。
 やはり事務所全体が落ち着かないと、その雰囲気も職員全体に波及し、職員一人一人がいつもピリピリしていて、一人ひとりが人間不信に陥ってしまったようで、大変に雰囲気が悪くなりました。
 ただでさえ会計事務所の職員は一匹狼タイプが多い上に、こうした入退職者が相次ぐ落ち着かない事務所では頼れる者は己のみ、ということになりますから、ますます職員一人一人がタコツポ化する、つまり自分たちの殻に閉じこもり、自分の仕事にのみしか興味を示さないようになってしまったのです。
 そんな状況下で私はなす術も知らず、副所長の役割を放棄し、自分の担当先への業務に逃げ込んでしまいました。
従って入ってきた職員の指導もままならず、彼らは自分たちのことしか考えませんでしたから、事務所は大荒れ状態が長く続きました。それは私が辞めるまで5~6年も。
 ある人に言われました。会計事務所で副所長が税理士というのは珍しい、と。
 私は最初、その言葉を褒め言葉といて受け取っていたのですが、それが逆の意味だと気がついたのは大分経ってからでした。
 その意味するところは、税理士で自分が独立できる立場となると、副所長、すなわち番頭のポストにはいずれ我慢できなくなる。税理士の資格のない職員であれば、所長に対して滅私奉公ができるだろうが、税理士登録をしている補助税理士となると、所長とうまくいっているうちは良いが、意見が対立した時に、自分のやり方、考え方をなかなか曲げようとせず、事務所に二大勢力が発生することとなり、事務所全体に不協和音をもたらすこととなる危険性が高い。というものです。
 まさに私のケ-スがそれにピッタリあてはまっていました。

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顧問税理士時代を回顧する その18 [勤務税理士時代の回顧]

 しかし私の未熟さはそればかりではありません。何と私はそうした事務所職員全員が自分の敵に回っていることに大いに憤慨し、もうやっていられるか、と開き直って結局元の状態に戻してしまったのです。
 つまり私は自分の元の担当先を自分に戻し、自分は自分の担当先の業務の他、副所長の業務を兼任することとしたのです。
 何の事はない、結局自分は副所長としての業務を放棄し、担当者に戻っただけなのです。
 これは開き直り以外の何物でもない。
 しかし当時の私は、より以上に自分の担当先の業務に精励することで、他の職員にもプレッシャ-をかけ、ひいては事務所全体の業務品質の向上につながると本気で考えていました。
 そして私にダダをこねた入所2年目の職員には、以前よりも厳しくあたった結果、半年後には事務所を去っていきました。そしてその職員の担当先は私が全て引き受けました。
 こうしてそれ以降は、事務所の職員が辞める度に私がその職員の担当先を殆ど引き受けていった結果、私が15年近く経ってI税理士事務所を辞めるころには、私の担当先は何と50件近くにまでなっていました。
今考えると何と馬鹿げたことをしたのだろう。
 I先生が私を副所長に就けたのは、私が2倍も3倍も担当者としての仕事をこなすことではなく、事務所職員全体のレベルアップを図ると同時に、I所長のイズムを職員にたたきこむことにあったのに、全く当時私が取った行動は逆でした。
 ムキになって仕事をこなすことで、事務所に十分貢献していると本気で思っていたのです。
 それが分かったのは、自分が開業し、人を採用してきてから。特に正職員を雇用してからです。
 ああ、あの時I先生が私に求めていたのは、人を育てることだったのか。自分の後釜を育て、個人プレイではなく事務所職員全体の底上げを図ることの方が、はるかにI事務所への恩返しになったものを。
 副所長に就いた時、さかんに組織、組織と連呼しておきながら、自分自身が最も個人プレイで、組織とは真逆な行動を取ってきたのです。何たる皮肉!
 でもI先生は何もおっしゃいませんでした。私が副所長の肩書を頂いてから約6年間一言も注意をされませんでした。ただひたすらずっと私の行動を見守っておられました。
 I先生はとっくに私の性格を読んでいたのです。カッカきている時に私に諫言しても、私は反省するどころか、自分の考え、行動をひたすら正当化する言葉を並べたてるだけでしょう。
 むしろ注意するとなお意固地になる私の欠点を十分知っていらしたからこそ、見守るしか手がなかったのでしょう。
 今思うと、,恥ずかしくてそれこそ目から火が出る思いです。
 と同時に辛抱強く使って下さったI先生にただひたすら感謝するのみです。
 I先生、あの時は本当に申し訳ありませんでした。。自分の未熟さを反省するどころか、ムキになって正当化するような言動を繰り返したことをどうかお許し下さい。
 謙虚さ、と言うのは簡単ですが、イザ自分のとっている行動を後から振り返ると、謙虚さのカケラもない言動が多いことに、我ながらビツクリというかゾッとします。
 とても自分は人様に注意したり、指導したりする立場の人間にはなれないな、と反省することしきりです。

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勤務税理士時代を回顧する その17 [勤務税理士時代の回顧]

 この点については私も十分察知していたので、新担当者と私とが同行し、事務所の事情を説明した上で、お客様には決してご迷惑をかけないよう十分な時間をかけて引き継ぎを行い、また私も当分の間新担当者とともに業務をしながら徐々に移行してゆく旨を説明したのですが、それでも心配したとおりいくつかの顧問先からは、クレームの声が挙がりました。
 そうかと思えば、ある顧問先の社長は事情を説明したところ快諾とは行かないまでも、事情を察し承諾してくれたのですが、その後がいけない。
 新担当者のやることなすことにケチをつけ、結局新担当者も共に謝りに出向いたのですが、そこで初めて新担当者を認めない姿勢を明らかにしたのです。
 これには困り果ててしまいまして、当分の間新担当者と私が二人でその顧問先の巡回監査を受け持ちということで話がまとまりかけ、やれやれと思ったらもう一波乱ありました。
 それは新担当者がヘソを曲げ、自分はその顧問先には行きたくないと言い出したのです。
 そんなワガママを認めたら、他の担当者にも示しがつきませんから、これは一大事とその担当者を必死になだめすかしましたが、結局ダメでした。
 その新担当者は、事務所経験も2年と浅くまた若かったせいもあり、その顧問先に何度となく注意されているうちに、すっかり嫌気がさしてしまい、その社長に対する苦手意識が自分の気持ちの中で一杯になってしまったようです。一種のトラウマ状態ですね。
 そんなこんなで、当初は私が一切担当先を持たず、全顧問先を広く見るという方針は、半年にして早くも崩れました。
 副所長に就いた時には、勿論中間管理職は初めての経験でしたが、何とか出来るだろうという慢心がありました。
 その理由は、I事務所でI先生を除いては、税理士は私だけだったからです。
 副所長になる前にも、新入職員などに何度となく仕事を教えていましたから、教える職員の数が増えただけと楽観視していました。
 しかしいざ副所長として約10名近い職員を指導していこうとすると、とても多勢に無勢でとても一人では太刀打ちができません。
 前にも触れましたが私より古参の二人の職員を味方につけてから、新体制の導に踏み切れば良かったものの、自分の考え方、やり方にはある程自信を持っていましたから、自分一人で改革を断行して、結局は職員から総スカンを喰らって、自滅した状態でした。
 特に二人の古参職員が、私の考え、やり方を理解してくれないどころか、反抗の急先鋒に立ったのは意外でしたし、大いにショックでした。
 個人的には二人とも良い人で、人間関係もそれまでは良好でしたから、まさかここまで反抗されるとは思っていなかっただけに、大いにへこみました、と同時に人間不信になりました。
 その時I先生に事前に言われた言葉が頭をよぎりました。
 「会計事務所の職員は、一匹狼タイプが多いから十分にやり方には気をつけなさいよ。」
 まさにI先生の懸念したとおりの結果になり、私の見通しの甘さ、社会経験のなさがモロに出てしまって、穴があったら入りたい心境でした。



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勤務税理士時代を回顧する その16 [勤務税理士時代の回顧]

 もう一つ私が事務所の職員にそっぽを向かれた大きな理由は、導入した作業日報を十分に管理資料として活用していなかったからです。
 つまり皆に作業日報は提出させておきながら、私が作業日報の集計及び分析を十分にしなかったものですから、職員の皆さんからすれば、何のために忙しい思いをして日報記入を行ったか分からない、冗談じゃない、ということに当然なりますね。
 そもそも作業日報作成の目的は、原価=人件費である会計事務所にあつては、その原価である時間管理をするのは当たり前であって、どこに無駄があり、より効率的で顧客に今以上の付加価値を提供するために,どこに時間配分するのが最適か、をそれぞれの職員が自己分析し、今後の行動に結び付けることです。
 ですから最終的には上司に提出し、管理されるために付ける資料ではなく、あくまでも職員一人一人が自己分析するために、つまり己の行動を点検し、反省するために作成する資料です。
 しかし導入時はその活用の仕方がよく分からないでしょうから、私が分析検討資料を作成し、この日報作成及び活用方法を十分に職員に周知徹底させるべきであったのですが、私がその一番肝心な業務をおろそかにしたものだから、当然皆からそっぽを向かれてしまったわけです。
 私も青天の霹靂でいきなり副所長になったものですから、人の使い方を全く分からず、ただ己の理想像だけを振りかざしていたのですから、職員の皆さんからみればたまったものではなかったと思います。
 その他私が副所長として考えたことは、自分から全ての担当を外し、I事務所の全顧問先のフォロ-に回ろうとした点です。
 つまり担当者とは別に自分がフリ-の立場で、担当先の各種相談があった際に担当者のフォロ-に回ったり、不定期に顧客を訪問し顧客全体をフォロ-しようとしました。
 しかしこれも職員にとっては非常に不評でした。何故なら私の担当先が各職員に割り当てられてしまった結果、各職員はそれぞれ数件担当先が増え忙しくなる一方で、職員から見ればいくら全体を見るとは言っても、私は担当先を外れ自分だけ楽をしているように映ったからです。
 この点についても、私はその意図を一通りしか説明しませんでした。当時の私からすれば作業日報の件にせよ、この担当先の割り振りの件にせよ,一通り説明すれば当然職員は分かってくれる、まして職員の方々とは数年来の付き合いがあるのだから、と思っていました。
 もう一つ担当先の割り振りで困った事態が発生しました。
 これも会計事務所ではよくあることなのですが、顧問先の側が担当者の変更を極端に嫌うことがある点です。
 顧問先からすれば、慣れ親しんだ担当者の方が良いに決まっています。銀行員のように他店への転勤があり、担当者そのものが支店からいなくなってしまうのなら、仕方がないと諦めてくれるのですが、前担当者は事務所に居るのですから、なぜ自分だけが担当者を替えられたのか。見くびられたのでは、と疑心暗鬼になってしまうケ-スが多いのです。


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勤務税理士時代を回顧する その15 [勤務税理士時代の回顧]

 事実、私が通っていたO簿記学校の勉強仲間に聞くと、税理士になりたいと思ったキッカケは、自分一人の力で独立開業できるから、という回答が最も多かったのです。
 やはりこの税理士業界は、税理士自身一匹狼的気質を持っている人たちが大半で、税理士予備軍と言われる受験生も、一国一城の主を目指すのが主な動機であることを聞くと、私のいうようにそもそもこの業界に組織を持ち込もうとする考え方の方が無理があるのかもしれません。
 考えてみれば、私たちの主な顧客層である中小企業の経営者の方々も、元はと言えば、会社で人に使われているのが厭で独立したとか、組織の中にいると自分が窮屈でたまらないから,思い切って自分の力を試してみるつもりで辞めたとか、そういう理由で独立し起業する方が多いようです。
 つまり最初から組織を考えているのではなく、自分の可能性を追求するためとか、人に使われるのが厭という理由で独立し、一生懸命仕事に励んでいく中で、徐々に会社の規模も大きくなっていき、気がつけばかなりの従業員を抱えていた、というケ-スをよく聞きます。
 私は人を使うには、その手始めとして組織論を十分学ばなければと思っていましたが、こうしたたたき上げの経営者の方々は、最初は一人あるいは家族で一丸となって無中で仕事をこなしてきて、忙しくなってくる中で、徐々に人を雇用し、授業員が増えていく中で、会社が組織の体をなしてくるというのが自然な会社の発展形態なのでしょう。
 社長が人を使いこなすのが苦手なタイプであっても、何人か社員を雇っているうちに、その中に独立志向ではないが番頭タイプの社員がいて、そうした人たちが会社の中で組織を段々と構築していくのでしょう。
 あまり最初から組織、組織と大騒ぎする必要もないようです。
 何より人間には、その時々に応じて役割を変えることができる柔軟性が備わっていますし、(尤も環境の変化に逆らい、変わろうとしない堅物の方もいますが、それは本人の気持ちが抵抗しているだけで、元来人間は環境適応力があるのです。)
 また自分が得手としない分野であっても、それを他人に補ってもらえば良いのです。あまり自分一人ですべてを解決すべく、すべてを背負い込まない方が良いようです。
 この辺が自分自身、理屈、理論から出発しすぎて、つまり頭でっかちで、行動が遅れがちになる欠点であるようです。全てを見通すことは所詮できないのだから、走り出してから考える、走りながら考えることが必要なのでしょう。これもまた頭では分かっていても、なかなか変えられない頑固な私です。
 
 

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勤務税理士時代を回顧する その14 [勤務税理士時代の回顧]

 当初からI先生は、会計事務所職員に管理を持ち込もうとしても、一筋縄ではいかないことを十分に察知されていたようで、私の悪戦苦闘ぶりをさして驚くこともなく、静かに見守っていました。
 「会計事務所の職員は,基本的に組織になじまない人たちだから、十分に気をつけなさい。」とI先生から事前に言われていた私ですが、自分には自分なりの持論があって、だからこそ余計に会計事務所職員に組織に対する理解を求めたのです。
 その持論とは、至極当たり前のことです。
 つまり、組織がしっかりしている中小企業に様々な経営助言をすべき立場にある会計事務所が、その事務所経営が組織としてしっかりしていなければ、どうして顧客に対して、主に人事、労務等の人に関する諸問題に対する有益な助言ができるのでしょうか、というものです。
 残念ながら会計事務所はごく一部の大規模事務所を除いて、殆どが1~5名程度の小規模事務所であり、10名規模の中規模事務所も全体の構成比率でいけば、数%にすぎないでしょう。
 コンサルタント業は多分に属人的つまりその人の技量によるところが大であることは事実ですが、少なくともそのコンサルタントはその前身が,、組織の中でその中枢として活躍し、組織の力、強み、弱み、運営のノウハウなどを十分に熟知してきた人であるべきでしょう。
 組織を知り尽くした人が初めて組織を語ることができるのではないか、というのが私のごく当たり前の考えでしたから、I事務所の職員にも組織に対する考えを教えようとしたのですが、頑としてはねのけられました。
 副所長になってだんだん分かってきたのですが、かなり大きな規模の会計事務所でも、あまり組織がしっかりしていない事務所もあるようです。
 元来私たち会計事務所職員は、お客様の所へ毎月巡回監査に出向き、帳面整理をし、お客様の税務相談に乗り、事務所に戻ってきて、電算処理つまりデータ入力から試算表作成までを行い、その試算表を携えて、所長または部門長(グル-プ長)に月次報告をします。
 その上で、所長なり部門長からコメントをもらい、お客様宛に試算表などを送付するか、訪問の上届けます。
 こうした一連の流れは、事務所内部では担当者と所長または部門長の二人で完結してしまうので、顧客数が多く何十人もの職員を使っている事務所でも、他の職員の手を煩わすことなく業務が完結してしまうのです。もう少し細分化されている事務所であれば、データの入力要員と試算表などのアウトプット帳表のチェツク要員がこれに加わるくらいで、事務所全体として職員が一丸となって同じ仕事に取り組むということは、まずありません。
 こうしたことを考えると、会計事務所の職員数が多い大規模事務所であっても、2~3名の小規模事務所であっても、業務の最小単位が2~3名で完結する以上あまり差が生じない。
 だから組織を論じても、事務所全体として行う大規模プロジェクトがない限りは、組織立った行動をそもそも必要としないのだから、ある意味無駄と考えることもできるでしょう。
 I先生が言いたいのもそれであったのかもしれません。2~3名という業務の最小単位さえしっかりしていれば、日常業務に支障のあることはない。お客様からの難しい相談業務は担当者が窓口として受け付けても、最終的にはI先生が対応し解決するから、職員は所長への報告さえきっちりやってくれればそれで良いということではないでしょうか。


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勤務税理士時代を回顧する その13 [勤務税理士時代の回顧]

 そうしてT,I先輩が退職されて程なく、I先生は事務所の内部を大胆に改装され、パーテ-ション、収納書棚をそっくり新調しました。
 その上で内部組織体制を一新され、何と私に副所長への就任を要請されました。
 私からすれば、まだ上に2人の先輩がいらしたのでお断りしたのですが、I先生は決めたことは曲げない方だったので仕方がありません。
 ただ今まではT先輩がきっちりやってこられ、また急にお辞めになったので引き継ぎもなく、また気持ちの整理もない状態での副所長就任ですから、何をやってよいのか皆目分かりません。
 自分は前回以前にも触れてきましたが、それまでの8年間はひたすら自分の能力を上げることのみに力を注いできましたので、人を束ねる行動は一切執ってきませんでした。というより関心がありませんでした。
 そういう一匹狼的な人間に何故I先生からの命令が下ったのか、はその当時は皆目理解できませんでした。
 自分は1対1で教えることはできるのですが、約10名いる職員を同時に教える、特に事務所の運営方針を教えるなどは、今まで考えたこともなかっただけに、また2人の先輩も経験がないわけですから聞くこともできず、大いに苦しみました。
 とりあえず自分が副所長的な統括の仕事をするためには、自分が担当を持っていてはまずいということで、自分の担当先を何人かの職員に割り振りました。
 そして自分がフリーの立場になった状態で、次には事務所職員の管理体制を確立すべく、作業日報の導入に踏み切りました。
 当時、I事務所の職員の仕事のやり方は各職員まちまちで統一されていなかったことから、そこにもメスを入れ,、作成書式の統一化を図るべくTKCの出力帳表を参考にしてオリジナルなフォームを作成しました。
 まず作業日報に関しては、各職員から不満の声が挙がったものの、事務所の管理体制の確立には欠かせないものとして何とか皆をなだめすかし、とりあえず導入には成功しました。
 しかしもう一つの仕事の標準化、作成手順の統一化には難儀しました。
 みな入ったばかりの職員ではなく、数年~10年選手ばかりで、自分なりの仕事のやり方,スタイルを持っていたために、私の勧めるやり方に従ってくれませんでした。
 特に,影響力のある2人の先輩が頑として言うことを聞いてくれなかったので、それを見ていた後輩も当然言うことを聞かず、結局この試みは当初から頓挫しました。
 また当初導入には成功した作業日報も、その集計結果を見て、自分たちが管理され注意されるだけの資料作りに段々各職員の不満も溜まっていき、ついには書くことは書くが、書いている内容はとてもずさんで、いい加減なものであったために、とても管理資料となりえず、結局この試みも空中分解してしまいました。

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勤務税理士時代を回顧する その12 [勤務税理士時代の回顧]

 ただ税理士試験に合格したと言っても、I税理士事務所の中での私の仕事は当面何ら変わることはありませんでした。
 しかし、私が昭和63年7月に税理士登録をしてから1年近く経った時、I事務所に激震が走りました。
その出来事とは、長くI事務所に勤務しその屋台骨を背負ってきた,,、T先輩とI先輩が同時に辞めることになったことです。
 I事務所の番頭さんと一番の職人が同時に辞めるのですから、その影響は測り知れません。
 しかし、I先生は覚悟を決めておられたのか、少なとも表立って両人を引き止めることはしませんでした。そして残った職員に新たな気持ちで頑張るように鼓舞されました。
 そしてお二人の先輩は、確か平成元年6月に職場を去っていきました。
 I先生も事務所の創生期を支えてこられた最大の功労者であるお二人を失うことは、それこそ両腕をもがれる,、断腸の思いであっただろうと思いますが、そこはやはり経営者です。
 気持ちを鬼にしてお二人の退職を受け入れました。
 お二人が辞めた原因は、当時の私には唐突であまり事情が呑み込めていませんでしたが、あとから思うと次の原因であると推測されます。
 I先生にすれば、事務所の番頭さんに事務所内部の運営を任せてきたが、時間が経過するにつれ、外回りをやって必死に営業をかけているI先生と、内を守るTさんとの距離が徐々に開いてきて、意見が合わなくなってきたのだろう、ということ。
 両人の立場からすれば、自分たちが必死にやっていても、自分たちの思う通りに事が運ばない。ましてI先生からすれば、この事務所はI事務所であり、自分が船頭であるのにどうも職員が自分の思う通りに動いてくれない苛立ちが募ってきてしまったのでしょう。
 一方のT先輩は、I先生の考え方も理解できるが、片や事務所の職員の立場を守ることも番頭としての自分の役目と考え、職務に忠実であろうとすればするほど、営業を重視する先生との考えに開きが出てしまった、そしていつの間にか両者の距離が埋められないほど開いていた、ということではないかと思います。
 どこの税理士事務所も悩みは同じでしょうが、番頭さんが居て、事務所の中を束ねていてくれることによつて、先生は安心して関心が外に向かうことができるのですが、片や番頭さんに任せすぎると、気がついた時には,,いつの間にか自分の事務所がさながら番頭さんの事務所となってしまう,そういう思いはかなりの税理士が経験されていると思います。
 そういう段階を乗り越えて事務所も新たな進歩を遂げるのですが、I事務所にとっては、まさにそうした事務所の変貌期にさしかかったのが平成元年であったと思うのです。時にI先生が開業してから23年目の出来事でした。
 私にとっても晴天の霹靂的な出来事で、大変に悲しい出来事でしたが、その後も計15年、I先生の事務所に勤務させていただき、税理士事務所運営の大変さをつぶさに観察することができたことは、今の事務所を運営していく上で大変に参考になっています。




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