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サ-ビス過剰社会への警鐘 ブログトップ

サ-ビス過剰社会への警鐘 その5 [サ-ビス過剰社会への警鐘]

 これって異常じゃありませんか。私はこうした記事、報道を見るにつけ、これを見ている子供たちに与える影響が心配です。
 だって子供たちには、いじめは絶対にダメですよ、お友達と仲良くしなさい、と躾けておきながら、大人の方がよほど残酷な仕打ちをやっている。この事実をどう子供たちに釈明するのですか。

 確かに地位と名誉を得ている人たちの言動は、いつも衆目を集めるがために、彼らの一挙一投足は大変キビしい目で見られていることは事実ですし、そういう立場、地位にいる人たちは、常日頃からそれを十分に自覚し、言動にはより慎重であるべきです。

 しかし彼らとて、同じ人間です。隙もあれば欠点もある。それをいちいち糾弾していては、彼らの言動もミスをすまいとただ委縮してしまい、その本来の長所を発揮できずに終わってしまうであろうし、また24時間完全無欠の人間であることなどいるはずもないのです。

 一般の民間人の尺度に照らして、受けなければならない罰や批判は当然としても、聖職であるとか有名人なのだから、とそういう理由だけで叩く材料にするのは如何なものでしょうか。
 やれ公僕なのだから、我々の税金で食っているくせにとか、うまく儲けやがってなど、いろいろな事件に対する批判の背景にはそうしたやっかみ、妬みがかなり投影されているのが、とても悲しいのです。
 こんなにも日本人は、神経質で人のミスにうるさく、許容力のない狭量の民族なのでしょうか。

 想像ですが、農耕民族である日本人は、信仰も多神教であって、そのいい加減なルーズさ、おおらかさが長所ではないかと私は思っています。
 それなのにいつの間にかピリピリして、他人のミスに大騒ぎし、他人を許容できない風潮が蔓延してしまった。

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サ-ビス過剰社会への警鐘 その4 [サ-ビス過剰社会への警鐘]

 今の日本は、かつての高度経済成長期のように明るい未来を夢見て邁進していた古き良き時代とは、局面が180度変わっています。
 資本主義経済の負の側面が一挙に吹き出して、どこから手をつけてよいか分からないほど、解決すべき課題が山積しています。
 だからでしょうか、また先に触れましたようにサービス業中心の経済下、皆対人関係で神経をすり減らし、ピリピリしていますから、皆その不満のはけ口を求めています。
 そのため叩く相手、対象が見つかると、この時とばかり皆で一斉に叩きます。
これは私から見れば、集団リンチと同じではないか、と異様に映るのです。

 確かに悪い事をした人は、罰せられ、批判されなければならないのは当然です。十分に謝罪し、罪を認め、償ってもらわなければなりません。
 しかし、集団リンチを受けるまで罪悪な事をしたのか、と首をかしげるケ-スも少なくありません。
くれぐれも言っておきますが、私は罪を犯した人を弁護するつもりはさらさらありません。
 しかし、それでも本人がした罪の行動に対する、社会の反応があまりにも大きすぎる。騒ぎ立てすぎると思うのです。
そこまで言わなくても、責めなくてもよいのではと思う局面に何度も出くわします。

 一例を挙げると、大分前になりますがプロボクシング選手である、亀田兄弟の言動に対するマスコミをはじめとする社会の反応です。
 10代の、ろくに世間を知らぬ青年が、ボクシングが強く、生意気で粋がっているから面白い、と言ってヒ-ロ-よろしく大いに囃子立てていたのに、内藤世界チャンピオンとの対戦に敗れるやいなや、今まで溜まっていた鬱憤を一挙に晴らすべく、マスコミを挙げてバッシングの嵐を浴びせました。
 あまりにも大人気なく、これが日本人の良識か?と疑う騒動でした。

 これに限らず、芸能人のゴシップネタは日常茶飯事のこととして、他にも政治家、企業、教師、警察官などおよそ名誉、権力のある人たちがミスをしたり不祥事を起こしたりすると、それがどんなに些細なことであっても、必要以上に騒ぎ立てて、事を大きくする。
 その人たちの全人格を否定するような論調で、思い切り叩く。完膚なきまでに。


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サ-ビス過剰社会への警鐘 その3 [サ-ビス過剰社会への警鐘]

 現代社会ほど「癒し」という言葉が使われる時代はありません。
 サ-ビスの提供を受ける人はみな、ストレスを抱えヒステリ-になっていますから、サービスの供給側により高度なサービスを要求します。
 お客様は神様といいますが、お客様は暴君でもあるのです。

 しかし、そのわがままなお客様のニーズに誠実に対応していかなければ、市場には生き残れませんから、会社はそこをぐっとこらえて、社員に対してよりよいサービスの提供を命令します。
 その結果、社員は常に高ストレス状態にさらされ、逆に自分がサービスを購入し提供を受ける側に回った時に、そのウサを晴らそうとします。そうして「癒され」ようとします。

 こうして人と人とがサービス競争を続けていく限り、お互いがお互いを煽り合って、ますます人はストレス感を強めていく、という負のスパイラルに嵌り込んでいきます。

 高ストレス状態が与える悪影響はそれだけではありません。
 人は自分のストレス状態を解消するのに精一杯で、他人にまで気を配る余裕がありません。
 つまり自分の頭の上の蠅を追いかけるのに精一杯で、周りが全く見えない状態なのです。

 それは生活のあらゆる局面に現れます。特にまずいのがとりも直さず家庭です。
 家族関係が希薄になっているのも、家族の構成員がそれぞれのストレスを抱えていて共有化できない、というのが一つの原因。そしてもう一つは親ですら自分のストレスの解消に四苦八苦している状態で、子供に充分な関心を払ってやれないことです。
 その結果、子供は自分が抱えているストレスを自分の力で解決せざるを得ず、うまくいかない子供たちは非行化したり、ウツ状態になり引きこもったりしてしまう。

 このようにサービスの高度化がむしろ人間を不幸にしている、というのが私の見解です。
ですからもういい加減に我々人間は、己の欲望を肥大化させることをやめにしませんか、と問いたいのです。
 このままの状態が続いていくと、まともな精神状態でいる人間が、日本中に一人もいなくなってしまうかもしれません。
 まさに自滅の世界です。これだけは何としてでも避けなければなりません。
地球上のあらゆる生物の最終進化形であるはずの人間の行く末が、人が人を傷つけ合い、皆滅亡する。
 これは何たるパラドックスでしょうか。


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サ-ビス過剰社会への警鐘 その2 [サ-ビス過剰社会への警鐘]

 ニ-ズがあるところサービスがある。しかも現代社会では、顕在化されたニーズに止まらず、潜在ニーズも掘り起こせ、というのがビジネスの合言葉ですから、こうなるともうサービスには際限がない。
 人間の欲望を満たすためにサービスの提供が生まれ、新たなサービスが提供されることにより、さらに人間の欲望が拡大するという、まさに相互が干渉しあって無限大の世界となっていきます。

 こうした現状を見るにつけ、そもそもそこまで人間の欲望を肥大化させる必要があるのか、という疑問が出てきます。
 市場社会に生き残るためには、サービス競争を永遠に繰り広げていかざるを得ないことも分かりますが、その結果サービスの提供を受ける側の人間は幸せになっているのでしょうか。
 これだけ高度なサービスを提供されても、心にすきま風の吹いている人が大半なのではありませんか?

 むしろ私にはサービスの過剰提供が、モノやサービスへの依存度をますます高める結果、人が孤立化し、ますます孤独感を強めてゆくのではないか。そういう意味でサービスの過剰提供は、人間を幸せにするどころか、むしろどんどん個に追い込んでゆく魔物ではないか、と感じています。
 前に私の愛読書としてご紹介した「悩む力」にもありますように、科学は人と人を分断させる。そして分断された個々の人は、大いなる便利さと引き換えに孤独感、憂鬱感にさいなまれることになるでしょう。

 サ-ビスを提供されている側の人間であっても、幸福感よりも孤独感を増幅させる結果となっているこのサービスの何たる皮肉なこと。

 それではサービスの供給側の人間はどうでしょうか。
 前述の新聞記事にもあるように、自分の感情を押し殺す局面が増えれば増えるほど、自分のストレスのボルテ-ジは上がってきます。

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サ-ビス過剰社会への警鐘 その1 [サ-ビス過剰社会への警鐘]

 11月17日(月)読売新聞の朝刊の文化面に「燃えつき症候群」の記事が載っていました。
 その記事の内容は、まさに自分が日頃から考えていることと同じだったので、我が意を得たりという気持ちになり、ここにご紹介させていただきます。

 その記事の骨子は次の通りです。

 現代の日本社会は、サービス業の比重が高まり、サービス業に従事する人口が増えてきたが、このサ-ビス業は、モノを売るのとは比較にならないほど、濃密なコミュニケ-ション能力を必要とされる。    
 生活が豊かになり、人はサービスにお金を支払うその対価として、よりよいサービスを求めるためである。
 こうしたお客様のニーズにより誠実に対応しようとすればするほど、自分の感情を押し殺してお客様に尽くすことを要求されるために、サービスを提供する側の人間は常に高ストレス状態に置かれ、自分の限界を超えると、突然ぷつんと糸が切れるように脱力状態に陥ってしまう。

 インタ-ネットのブログへの返信にも同じことが言える。
 大量の書き込みに一つ一つ丁寧に返事をしないと、批判のメ-ルが送信されたりして、コミュニケ-ションを保つのに四苦八苦するようになると、一体何のためにブログをやっているのか分からなくなり、ブログから暫く離れざるを得なかった。

 このようにサービス過剰社会、ネット社会では、物事を適度にやり過ごす能力、すなわちスルー力とでもいうべき能力が要求されるが、それとてもうまくやらないと、無責任とののしられる。
 いずれにしても、この高ストレス社会を乗り切るのは並大抵ではない。

 私もかねてから、現在の日本におけるサービス過剰社会には常々大いなる疑問を感じていました。     
 例えばコンビニ、スーパ-。24時間あるいは夜11時まで営業する。また年中無休営業など、どれだけの必要性があるのでしょうか。
 確かに夜遅くまで残業して、遅い夕食を取る人にとっては必要でしょうし、長距離トラック運転手の方など、夜通し走っている方たちには、コンビニは大いに有難いでしょう。

 そういう考え方でいえば、日本人の人口1億2千万人以上のそれぞれに違ったニーズがあり、極端にいえばサービスの提供を推し進めてゆくのであれば、ビジネスとして成り立つか成り立たないかは別として、1億2千万以上の種類のサービスがあって然るべきでしょう。

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