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私の愛読書~悩む力を読んで その8 [私の愛読書]

 生意気な事を言うようですが、その時代、その時代にはそれぞれの時代背景があり、要請される課題も違いますから、後から歴史学者があの時代のあの政策は間違いだった、と指摘しても、その時代に身を置いている人にしか本当のところは分からないのではないでしょうか。

 ですから先代のなした事業をもっと讃え、あとは私たちに任せて下さい、という先人に対する感謝の気持ちをまず表わすべきです。

 最近の風潮で私が最も憂慮しているのは、人を批判することはあっても決して誉めようとしない風潮です。褒めるよりも批判する、こき下ろす、そういう言わば集団リンチに似たメディアの論調に私は大いに戸惑いを隠しえません。

 皆苛立っているのは分かりますが、その苛立ちの不満のはけ口を常に求めていて、何かバッシングの材料があると、これ幸いとばかりに、めった撃ちにする、社会全体がヒステリ-状態に陥っていて、お互いがお互いを傷つけあう、何ともやりきれない社会になりつつあるのがとても心配です。

 それを打開するには、まず相手を認めることではないでしょうか。
 今まで時代を背負ってきた中高年、老人世代の方々にねぎらいの言葉をかけ、その時代背景を理解してあげることが必要であると思います。
 勿論これは、家庭でも、職場でも、地域でも社会全体で気持ちを表わすことが必要です。

 一時代を終えた今の中高年世代は、幸いにして平均寿命が大幅に伸びていますから、第二の青春時代を謳歌することが可能です。
 姜教授は、今の時代若者のみが文化を創っていくのではなく、団塊の世代も侮りがたし、大いに中高年世代の方々、頑張ってもう一花咲かせましょうと大いにエールを送っています。
 確かに若い時のような鋭い感性は失われても、中高年にはおおいに人生経験があります。
 その円熟した知識、経験を生かし、若者文化に対抗して、中高年文化を創って欲しいと思います。
 時間にも余裕が出てきて、気持ちにゆとりが出てきた中高年世代の創る文化は、きっと味わい深いものとなるでしょう。
 姜教授はこうして大いに悩んだ後に各自が突き抜けることによって、達観の境地に達するという極めて仏教的なしめくくりで、後味の良い締め方をされました。あっぱれ。

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私の愛読書~悩む力を読んで その7 [私の愛読書]

 最後にこの「悩む力」で素晴らしい点は、若者ばかりが注目される風潮へ強烈なるアンチテ-ゼを唱えているところです。確かに若者はいつの時代においてもこれからの文化、文明の担い手であり、彼らに期待するところは真に大であります。
 しかしその反面、戦力を下りた、あるいは下りようとしている中高年、そして老年に対する風当たりは決して温かいものではありません。

 かにこの変化の激しい時代、時代の変化についてゆけなくなった、或いはいつまでも過去の時代のやり方にこだわっている中高、老年層は、若者から見ればウザったく映るのかもしれません。
 しかし彼らは若者の前の時代を支えてこられたいわば戦士であり、尊敬されこそすれ決して蔑視される存在ではありません。

 確かに閉塞感の蔓延する今の時代において、若者から見れば、どうしてもっと夢のある、未来のある時代を自分たちに用意しておいてくれなかったのか、という恨み節も多々あるでしょう。
 しかし、その時代、その時代を生き抜いてきた人たちは、例えば第二次世界大戦後の戦後復興により日本経済が大成長時代を迎え、物資が日本中に行き渡りましたが、物資が欠乏していたその時代には、その物資の豊かさこそが幸せの象徴だったのです。

 それが約60年を経て今度は、そうした大量生産、大量消費の時代の負の側面が大きくクローズアツプされるようになってきました。
 化石燃料の大量消費による地球温暖化、そして家族制度では私が度々書いている核家族制度のもたらす家族断絶がその代表例です。これ以外も終身雇用制、年功序列制の瓦解など日本社会全体が様々な局面で制度疲労を起こしています。

 それならば、高度経済成長時代は果たして失敗だったのか?答えは否であると私は思います。
 私は生まれていなかったのでこれはあくまで想像でしかないのですが、戦争で疲れ果て、物資も乏しく生きていくのがやっと。しかも戦いに敗れ、日本人は世界で最も優秀な民族という教育を受けていたそのプライドがズダズタになって身も心もやつれきった日本人にとって、あの華やかなアメリカ人の振る舞いは羨望の的になったことは、想像に難くありません。
 それから日本は戦後復興に向け国民一丸となってひた走るのですが、この昭和世代を批判することは誰にもできないはずです。

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私の愛読書~悩む力を読んで その6 [私の愛読書]

 この他姜教授は、働く意味、愛について、お金との関わり方、知性と知識について、などのテ-マについて、鋭く切り込んでおられます。
 全編を通じて私が大きく印象に残ったのが、個人と社会との関わり方、距離感です。
 自分を守るためには、ある程度自我を確立する必要がある反面、自我が肥大化しすぎると、かえって他人とうまく折り合いをつけられなくなる。
 しかし人間は社会的な動物であり、社会に認知され、社会的な存在としてそこにいることを承認されないと、人は孤立化して、生きる意味を見いだせないままにさまよい、そして最悪は命を絶ってしまう。

 私はかねてから自分だけの造語を作っております。
 それは、「かまってほしい症候群」という言葉です。

 なんだかんだ言っても、人間は他人に関心をもたれ、注目され、脚光を浴びないと耐えられなくなるのです。そしてこの欲求が満たされないと、フラストレ-ションが溜まり、愛情飢餓感を訴えるのです。
 そして愛情飢餓感が屈折すると、金、物、権力などに異常に固執し、それらの亡者になる人も多くいます。
 極端な事を言えば、この愛情飢餓感が解消すれば、人は皆他人に対して寛容になり、この世の争いも殆ど無くなるのではないでしょうか。
 愛情飢餓感が昂じると人はウツ状態となりますが、今の世の中殆どの人がウツ状態に陥っているのではないでしょうか。

 もう一つ、現代社会で厄介なのが、自己喪失感です。
 よりよい生活を求める、幸福な生活を夢見る。
 そのためには両親の十分な愛情を受ける間もなく、幼いころから必要以上の競争社会にさらされ、ひたすらよい学校、よい企業への就職を求め、よい条件のパートナ-との結婚を求める。
 あすなろ、ではありませんが、明日には輝かしい未来が待っている。そのためには今頑張ろうと思って一生懸命頑張ってきたのに、就職で苦労し、入社した会社の未来は怪しい、給料も上がらないからよい条件での結婚もできない。

 こうして今までの成功モデルが砂上の楼閣であり、幻想だと分かってしまったのが、今の混沌とした価値観の元凶です。
 先に私は、人は自由を求めているようで、適度に束縛、拘束される、型にはめられることを望んでいる、と書きましたが、成功パタ-ン、幸せになるパタ-ンという型にはめようとしても、今の世の中では、そうした典型的な成功モデルが瓦解してしまったことが、特に若者がさまよってしまう最大の原因となっています。

 自己責任の時代と言われても、余程自分が確立されていなければふらふらしてしまうのは、やむを得ないことではないでしょうか。
 老若男女を問わず、自分の生き方に確固とした自信を持って生き生きとしている人がどの位いらっしゃるでしょうか。
 そうそう自己を確立し、他人との良い距離感を持って生きられる人はいないと思います。

 そう考えると、人はお互いの弱さを認めて、肩を寄せ合って生きていく以外に、自分の自己喪失感を埋める方法はないのではないでしょうか。

 愛情飢餓感を満たすためにも、自己喪失感を埋めるためにも、私はばらばらに細分化された個をもう一度結束させる制度が必要であり、その中核をなすのが、家族制度の見直しであると思うのです。

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私の愛読書~悩む力を読んで その5 [私の愛読書]

 集団という言葉を使うとすぐに全体主義への復活だとか、国粋主義を標榜する右翼などと騒ぐ人がいますが決してそうではありません。
 そういう人たちでも、社会の最小の集団である家庭を持っていらっしゃるではありませんか。
集団=悪、個人=善、それを敷衍して、集団主義=悪、個人主義=善といういい加減な常識は、それこそもういい加減にやめにしませんか。

 今こそ家庭という社会の最小集団構成単位を立て直し、それを推し進めて幼稚園から特に高等学校までの学校という集団での、個人と集団とのあり方をもっと検討し、集団の中にうまく個人を取り込んでいく工夫を考えていくべきだと思うのですが。

 情操教育は基本的にはスキンシップの中から教えていきますから、当然家庭が中心になるでしょうが、人としての生き方、集団の中での個人のあり方、集団生活での規律を中心に説く道徳教育は、幼稚園から義務化し、これを授業の柱に据える位に重要な科目として徹底的に教えていくべきだと思うのです。

 とにかく人を孤立化させてはなりません。人は孤立化し、どこにも頼るつてがなくなると、己の妄想に逃げ込んでしまいます。そしてますます現実から遠ざかっていき、社会との接点がますます遠のいて行くのです。

 姜教授が説いておられるように、人は生きる意味を見失うと生きていられなくなるのです。
 社会において身の置き場が無くならないように、社会のどこかの集団において、社会との関わりを持っていただかなければなりません。
 社会から見捨てられず、社会からその存在を承認されることによってこの世に生を保っていられるのです。
 中高年の自殺はまさに自己喪失感が主な原因なのです。

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私の愛読書~悩む力を読んで その4 [私の愛読書]

 ですから資本主義、個人主義の名の下に、人間を個に解体しようとする動きは、まさに人間にとっては自殺行為であるのです。
 その証拠に、どの集団にも属することが出来ず、孤立化して目標を見失った若者が数々の悲惨な事件を起こしていることは、皆さんも新聞やニュ-スで厭というほど見聞きしているでしょう。

 彼らが事件を起こす動機の殆どは、社会への復讐です。
 自分を見捨てた、或いは自分をかまってくれなかった冷たい社会への復讐、怨念です。
 正常人からすれば逆恨みとしか思えないのですが、彼らはおそらく社会、集団へ入っていくことが極端に下手な人たちなんだろうと思います。

 特に思春期を経た若者は、自分を大切にしたいという自我が大きすぎるあまり、他人にうまく溶け込んでいくことが出来ず、悶々としていった結果、次第に苦しんでいる自分を追い込んだのは、この冷たい個人主義が蔓延した社会だという被害者意識を強く持つようになり、それが特定の人を定めない無差別殺人へと駆り立てていったと想像されます。

 私も他人との付き合いには未だに苦しんでいますし、おそらくこの悩みは万人全てに共通する最も身近でありながら、最も難しい不変のテ-マであると思います。
 だからこそ「悩む力」でも全編に亘って、自我のあり方、他者との共存の仕方について著者が滔々と自説を説かれているのです。

 私は資本主義、科学万能時代の宿命とは思いながらも、制度面での見直しをすることによって、何とかしてこうした悲しい風潮を食い止めることが出来るのでは、と信じています。
 何故なら人間はそもそも社会的な動物であるからです。

 どんなに物質文明が進んでも、我々は人間であり、社会的な動物なんだ、どこかの集団に属して、その集団の規律を守ることによって精神の安定が図れるのだ、ということを思い出して頂きたい。

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私の愛読書~悩む力を読んで その3  [私の愛読書]

 現代社会はとりわけ今の日本は、物質文明と言われるほど、物がどこの家庭でもあふれかえっている位物質的には恵まれていますが、こう教授の説かれるように、物質の豊かさと引き換えに各個人個人はますます孤立化しています。

 そして各個人個人が文字通り自由を手に入れた反面、自分達が一体どこへ向かったら良いのか、その進むべき方向を、他の人に頼るのではなく自分自身で探し出し、或いは見つけ出していかなければならなくなったのです。
 これは苦行以外の何者でもありません。

 分かりやすい例を出しますと、普通皆さんは幼稚園、小学校に入るとクラス分けをされて、同じクラスの子供達と机を並べて勉強したり、遊んだりすることになりますね。そしてクラスという一つの集団の中から親しいクラスメイトが自然に出来て、クラスメイトという小集団の中で自分たちが身を置くことによって、自分も精神的に安心しますし、そこで自然発生的に集団での規律が出てくる訳です。
 そしてその小集団の中では、自然に決まった集団規律をその構成員が守ることによって、集団に団結力が生まれてきますし、構成員は暗黙の内に規律を守ることを義務づけられますが、その集団から抜けようとしない限り、その規律を守ることは構成員にとっては苦にはならないのです。

 そうです。そもそも人間は、社会的な動物と言われるように、必ずどこかの集団に属していないと生きられないし、集団を形成する以上規律が必要ですから、人は基本的には縛られる、拘束されることは苦にはならないのです。というよりも適度に拘束されることをむしろ望んでいるのです。


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私の愛読書~悩む力を読んで その2  [私の愛読書]

 手前味噌で恐縮ですが、私は4~5月位にかけて自分のブログ「家族制度について考える」の稿で、自由主義がもたらす数々の弊害、特に自由という美名の下に、自由が暴走し極端な個人主義が蔓延する結果、社会の構成単位がどんどん細分化され、それは家族制度にも及んでしまった。
 その結果親子においてすら十分なコミュニケ-ションがとれなくなり、十分な情操教育、道徳教育を受けていない子供たちが大量に社会に出ることとなった結果、さまざまな不適応現象を引き起こしていることをくどいほど訴えてきました。

 私は個人主義、集団の解体が資本主義のもらたす負の側面であることは認めながらも、何とか制度を見直すことにより、これらのマイナスの部分を少しでも食い止めることができるのでは、と淡い望みを捨ててはいません。

 しかし、姜教授のこの著書によれば、資本主義、科学の普及により、人と人とを結び付ける諸制度がどんどん解体され、人が個に細分化されていくことは食い止めることができない悲しい現実として受けとめざるを得ない、と説いています。

 その上で姜教授は、個人の自我の確立、そして他人の自我との共存のあり方、すなわち相互承認という形を各自が確立するよう、各個人の心の鍛錬を「悩む」ことを通じて積むように、切々と訴えています。

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私の愛読書~悩む力を読んで その1 [私の愛読書]

 今日から何回かで、最近私が深く感銘を受けた書籍の感想を述べたいと思います。

 その書籍とは、「悩む力」(姜尚中氏著)です。

 この書籍を本屋で手に取ったのが、9月18日、それから約1か月の間にもう5回も読みふけりました。
何がすごいって、この本は、自分が悩んでいるテ-マ、自我、働く意味、宗教観、老いとどう向き合うかなどについて、正面から真面目に取り組み、がっぷり四つで筆者なりの明確な解答を出している、大変に貴重な書籍です。

 2章から終章まで8つのテ-マについて筆者の考えを縷々述べていますが、自我、金、愛、青春、働く、死ぬ、老いなど、どれも万人にとって普遍的なテ-マであり、非常に身近なテ-マですから、どの人が読んでも引き込まれていくこと請け合いです。

 筆者の論調は、非常に明快かつ分かり易く、かといって押しつけがましくありません。
 筆者は夏目漱石とマックス.ウェ-バ-に心酔されているようで、お二人の生き方をしばしば引用しながら、各テ-マにおけるご自分の考えを滔々と語っておられます。

 筆者の文章の中に「まじめたれ」という小見出しがありますが、文面はまさに真面目そのものです。どうしてここまで真剣に悩むのか、その自分の心に忠実で妥協を許さぬ真摯な姿勢には、頭が下がる思いです。と同時にともすれば流れに身を任せ、考えること、悩むことを放棄しがちになった私自身に強烈なパンチを浴びせられた気分です。

 そして筆者は悩みぬいたうえで、突き抜けなさい、弾けなさい、と読者にエ-ルを送っています。
 ただ悩むからには、中途半端で悩むな、自分である程度納得がいくまで、自分なりの解答が得られるまで悩めと言って、軽薄に結論を求めようとする風潮を戒めています。

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私の愛読書 その3 [私の愛読書]

 前回に引き続いて人間が人間らしさを失いかけているのではないか、という点から話を続けます。
現代人、特に今の日本人が失いかけているものと感じるのは、道徳心の欠如です。
 そして、その最大の原因は、言うまでもなく社会の最小構成単位である家庭にあります。
加藤氏は家庭が邪悪な心に満ちている現実を指摘し、その解決のためには親自身が自分をありのまま受け入れることを説いています。
 親が周囲の世界に敵意や警戒心を持っていては、到底自分の子に優しい気持ちで接することが出来ない、と言うのです。
 確かに今の世の中は忙しすぎます。誰もが何かにいつも追われていて気持ちの余裕がない。そのため他人の心配事にまで気が回らないのが悲しい現実です。
 人間らしい思いやりのある心を失うまいと思っていても、自分の頭の上の蠅を追うのに精一杯で他人にまで気が回らない。これが家庭になると子供の情操教育に大きく影響してくるのです。
 そうまでして忙しく動き回る私たちは、一体どこへ向かっているのでしょうか。
少し冷静になって考えてみると、どうも私たちはお互いがお互いを煽っているようにしか見えません。そしてお互いに煽り合って何か良いことはあるかというと、あるように思えません。
 あるとすればあいつに勝ったとか、少々出世したとか、どうも局地戦での勝利にこだわりすぎて、全体を見ていないのではないでしょうか。
 局地戦に勝ったとしても、そのために犠牲にしてきたもの、それが社会的弱者といわれるお年寄りや子供ではないでしょうか。
 お年寄りに対しては、そこのけそこのけとばかり端に追いやり、お年寄りは一部の富裕層を除いて自分たちの老後をどうしようか、と思案に暮れている。
 子供たちは物質的には恵まれていても、親に時間がないため十分に社会での生き方、道徳心を教わらないで社会人になってしまう。
 教育は百年の計、と言います。
特に子供が親から離陸するまでの間私達親の役目は、子供が自分たちの力で社会の中で自立した生活を送ることができるよう十分教育することです。
 その教育の中で特に欠如しているのが、他人との関わり合い方、つきあい方です。
自分が大事であるように他人も同じ人間であり、尊い存在であるという当たり前のことが正しく教えられていない。社会生活を営んでいの上でのその一番大切な教育が不十分どころか、大いに不足しているのは間違いないと思います。
 下手をすると子供自身が愛情飢餓に陥っていて、それがために自分のことしか考えられない状況になっているのかもしれません。
 私は今の日本がこういう家庭断絶が多発するに至った元凶は、核家族にあると思っています。
この忙しい世の中で、親も共働きでなければ生活が立ち行かない経済状況下では、どうしても子供に十分な情操教育を施す時間がありません。だから子供はさまよってしまっているのです。
 その点三世代以上が生活する大家族の下では、親のいない間おじいさんとあばあさんが孫の面倒をみます。孫には甘やかすばかりといいますがそれでいいのです。
 祖父、祖母からたっぷりと愛情を注がれ、優しい子に育っていくでしょう。
それに祖父、祖母は人生の達人です。酸いも甘いも噛み分けた人生の先輩の一言には人生訓がたっぷり詰まっています。きっと広い心で孫を、正しい人としての道に導いていってくれます。
 主に経済的な理由から同居できない方にはお気の毒ですが、極力先人の知恵をお借りするべきでしょう。
 また国も高度経済成長を実現した、地方からの労働力の確保の結果としての核家族制度が一つの役割を終えた今、その核家族制度が制度疲労を起こしている現実を謙虚に受け止め、三世代以上が同居できるような社会の構築を本気で進めるべき時に来ていると私は思うのですが。
 次世代を担う子供の教育特に情操教育に最も力を傾注することこそ、社会を住みやすくしていく最善にして最も近道である、まさに教育は百年の計であり時間はかかるがその効果はすさまじいと思うのです。

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私の愛読書 その2 [私の愛読書]

 人間らしさ、っていったい何なのでしょうか?
私は、人間は人間である前に、動物であり生物であると思っています。
 いまさら何故当たり前のことを言い出すのか、と思われるでしょうが、私には少なくとも今の日本人でその当たり前のことを忘れている人がかなりいらっしゃるのではないか、と感じてしまう局面に多々遭遇します。
 一つには子供を作らない、子孫を後に残さない、とお考えの方がかなりいらっしゃることです。
確かこの点については、少し前に町村官房長官が、子供を作るのは義務である趣旨の発言をされ、子供ができない、授かれない方々から大いにバッシングを浴びていました。
 私は町村氏に同調する意思はありませんが、考え方は近いものがあると思っています。
それは、動物であり生物である限り、子孫を残していくのが我々の宿命だということです。
 そうは言っても、残念ながら子宝に恵まれない方は多数いらっしゃいます。その悔しさ、無念さはお察し申し上げます。ですから私はそうした方々を非難するつもりは毛頭ありません。むしろ大変同情申し上げます。
 私の言いたいのは子孫を作る、自分の遺伝子を子孫を作ることによって後世に継承させよう、という動物、生物にとって当たり前のことをやろうとしない方が増えているという悲しい現実を憂いているのです。
 そして自分の代で終わりにすることは、永々としてしてその礎を築いてこられた先代の想いを断ち切ることになるのですよ。駅伝ランナ-でいえば自分で走るのを途中で放棄し、たすきを繋がないでレ-スを打ち切りにしてしまうということなのですよ。その事の重大さを分かっているのですか?ということです。
 人類はこの地球に生息する生物のなかでの最高峰、最終進化形と言われます。
人類以外の生物は子孫を残すべく必死に生き、鮭を例にとるまでもなく自分の命と引き換えに、その種(しゅ)の種(たね)を、遺伝子を後世に残し、後世にさらなる種族の発展を期するのです。
 生物の最終進化形といわれる人類が、この地球に生息する他の全ての生物の模範になるどころか滅亡の道を辿っているというのは、何たる皮肉でしょうか?
 人類という言葉で大風呂敷を広げたような口ぶりでしたが、もっと単位を狭めていただいてもよいのです。社会生活での最少構成単位は家庭です。その家庭にあちこちでヒビが入ってきている。親子断絶は当たり前、親子での親が子を、子が親を殺めたり暴力を振るうのも珍しくなくなってしまいました。そして結婚しようという意思がない、結婚しても子供を作ろうとしない人も多くなりました。
 勿論今の日本では子供を作り育てるのに環境が整っていない部分は多々あると思います。
また社会不安、環境不安などこれからの子供たちの進む将来は、明るいどころか真っ暗ではないか、というお考えも一理あると思います。
 しかしそれでも子孫は、子種は残さなくてはならない、と私は思うのです。
子供の行く末を心配するから子供を作らないのだ、という考えはもっともらしく聞こえますが、私は逆に戸惑いを隠せません。そこに傲慢さを感じるからです。
 誰が決めるのですか、生まれてきた子が不幸になるって。、どうして断定ができるのですか?
それは神のみぞ知ること、我々人間にはそこまでの知恵はありません。だから我々は期待を持って後世に委ねることしかできないのです。とにかく子孫を残す、そしてその子孫に期待を持って任せるしかないのです。勿論子供の教育は親の務めです。精一杯教育しなければなりません。  
 その時子供に夢を持たせるよう教育し送り出さなければ、子供は路頭に迷ってしまいます。
そうやって親はわが子を最大の期待を持って世の中に送り出す。それしか出来ないのです。 あとは子供たちが自分たちの力で波を一つ一つ乗り越えていくだけです。
 期待してあげようではありませんか。わが子に。次の子孫に。自分の代で断ち切るなどと思うことは、尊い命をそして永々として築きあげつないで来られたご先祖の思いを踏みにじることになることを十分自覚していただきたいと思います。
 今日は加藤氏の著書を離れて勝手に自分で突っ走ってしまいましたが、加藤氏の人間としての、そして家庭人としての基本的考えに大いに触発された私のつたない思いをしたためました。
 次回はまた加藤氏の「アメリカインディアンの教え」の中での気に入った内容についてコメントします。
 
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