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横浜西部地区緑支部 ブログトップ

横浜西部地区 税理士会緑支部について その11 [横浜西部地区緑支部]

 緑支部各部、委員会の紹介の続きです。
⑥ 第一税務支援対策部 法人関係の税務支援を所掌する部です。
⑦ 第二税務支援対策部 個人関係の税務支援を所掌する部です。確定申告期の
    無料相談の段取り、割り当て、運営は全てこの部で行います。
⑧ 第三税務支援対策部 外部団体からの講師派遣に応じるほか、みどり無料税金
   相談室の運営をやっています。
税務支援対策部については一応の所掌はあるものの、確定申告期の無料相談事業
については、第ニが中心となりながらも、第一、第三も総出で運営にあたっています。
⑨ 研修部 会員や事務所職員の研修を企画、開催する部です。
⑩ 会務制度部 支部規約改正や本会からの会員に対するアンケ-トを集約する部です。
⑪ 情報システム委員会 支部ホ-ムペ-ジの管理運営や電子申告の普及など
   IT環境整備、普及を目的とする委員会です。
⑫ 臨税対策特別委員会 臨時税理士制度(税理士法50条)への対応を所掌する部で、
   現在農協との臨税問題で協議を重ねています。
⑬ 役員選任管理委員会 支部規約に基づく公正な役員選任を管理する部です。
⑭ 役員選考委員会 支部規約に基づき公正厳選な役員選考を行う部です。
 この役員選任管理、役員選考両委員会は、基本的に役員改選が行われる2年目に
 活動する委員会です。

 この他、本会が推進している電子申告推進対策本部が各支部に置かれており、支部長
が旗振り役を務めます。

 同好会については、厚生部が所掌していますが、同好会活動も活発に行われております。

① 野球 ② カラオケ ③ 海外旅行 ④ ハイキング ⑤ きき酒 ⑥ ゴルフ ⑦ ボウリング
⑧ 麻雀 ⑨ 囲碁 ⑩ テニス ⑪ パソコン ⑫ 資産税 ⑬ 美術鑑賞 
の13の同好会があります。

 このうちユニ-クなのが、きき酒同好会と資産税同好会です。
きき酒同好会は、私のブログア-カイブにて詳しく紹介していますが、日本酒を愛する会で
その年の品評会において金賞を受賞した酒を中心に、おいしい酒肴をいただきながら日本
酒を酌み交わす会です。呑んベえ同好会とでも言いましょうか。

 資産税同好会は、資産税に関するケ-ススタディを中心とした勉強会です。
緑支部は資産税に関する案件(相続、贈与、譲渡など)が多く、会員も資産税には関心を
持っている人が多いことから、年に7~8回勉強会を開催しています。
              
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横浜西部地区 税理士会緑支部について その10 [横浜西部地区緑支部]

 税理士会緑支部としての社会貢献活動として、以下の活動をしています。

③ みどり無料税金相談室の開催
  毎月第1、第3水曜日の午後から、緑支部事務局において市民からの税務相談を
  無料で行っています。昨年の7月から始めて1年がようやく経ちましたが、お陰様で
  徐々に認知度も上がり、毎回5名の申込枠に対して、満員になることが多くなりま
  した。
④ 確定申告期における税理士による無料確定申告相談事業の開催
  これは2/23が税理士記念日にあたることから、この時期に小規模納税者に対して
  無料の確定申告相談を行うもので、昨年度から東京地方税理士会(本会)の施策と
  して実施されました。
  来年度も規模を拡大しての実施を予定しており、24年2月22日及び23日の2日間
  で実施します。開催場所は昨年度と同様に、市営地下鉄センタ-南駅下車徒歩2分
  にある宅地建物取引業協会横浜北支部の会議室内において行います。
  給与所得者及び年金所得者が対象となります。詳細は改めて広報いたします。

 総会が6月に終わり、執行部提出議案も無事ご承認いただき、支部活動も本格的に
活発化してきました。

 緑支部には以下の部、委員会があります。
① 総務部  支部全体を統括する部。総会、正副支部長会、幹事会、定例会を開催し、
        対外的な窓口ともなります。
② 経理部 支部会費の収納、支部予算の執行状況の把握、決算書の作成を行います。
③ 厚生部 支部会員間の福利厚生活動全般を行います。同好会の育成指導も厚生部
       の所掌です。
④ 綱紀監察部 支部会員が綱紀に反する行為、すなわち税理士法に違反する行為を
       行っていないか、ニセ税理士が税理士行為を行っていないかなどを監視し
       本会に報告するとともに、税理士登録の際、税理士事務所を訪問し実態
       確認を行っています。
⑤ 広報部 支部報を年に3回発刊し、支部全体の情報を分かりやすく伝える他、税務署
       と協議し、租税教室の開催窓口となっています。

 まだ部、委員会の数が多いので、次回に紹介します。


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横浜西部地区 税理士会緑支部について その9 [横浜西部地区緑支部]

 以上緑支部長として、外部団体とのお付き合い及び交流、意見交換ということで
税務協力団体である税務懇話会を中心に地域とのお付き合いの状況について書いて
きましたが、上部団体である東京地方税理士会他との関係、ついても触れたいと思い
ます。

 東京地方税理士会(本会)内には20の支部があり、横浜市内には7つの支部があり
ます。上部団体とは本会以外に、協同組合、税理士政治連盟、税理士会館、公益活動
サポ-トセンタ-、デ-タ通信協同組合があります。
 
 支部は本会のいわば支店でありますので、当然本会の施策に則った活動を各支部
単位で行うということになります。
 また本会の会務を行うには、各支部からの代表を数名送り出しておりまして、当支部
からも理事3名、参事5~6名が本会の各部に分かれて本会会務を行なっています。
 他にも協同組合、税政連等にも代表者を送り出してそれぞれの会務にあたっています。

 これ以外に横浜市内7支部だけで組織している会が2つあります。
一つは横浜市内7支部正副支部長会であり、もう一つは横浜税理士倶楽部であります。
 
 横浜市内7支部正副支部長会は、横浜市内に支部を置く7つの支部の支部長及び
執行部による意見や情報の交換及び人的交流を狙いとした会で、過去においては毎年
開催されていましたが、現在は2年に1度の頻度となっています。
 ただ議題を集める横浜市内7支部総務部長会は年に数度不定期に開かれているよう
です。

 横浜税理士倶楽部は、横浜商工会議所の議員を横浜市内7支部から代表で選出し、
その活動を支援しようという目的で作った任意組織です。現在は戸塚支部からの代表者
が横浜商工会議所の2号議員で、金融部会に属し、商工会議所議員として議事に参加
され、税法改正の提言作り等にも積極的に関わっておられます。

 以上、上部団体等、地元の各種団体とのお付き合いだけでも相当な情報交換及び交流
を行っているわけで、この他に支部独自の活動も勿論活発に行っています。
 
 自分が支部長をお引き受けした時、全体として支部長の活動は概略理解しその範囲、
分量なども大体把握していたつもりでしたが、4か月たって自分の見積もりの甘さに大いに
戸惑っている次第です。しかし途中で投げ出すわけにもいきません。あと1年8か月精一杯
会務の活性化及び税理士としての職域確保、イメ-ジアップのためにも尽力していきたい
と考えています。

 私が支部長としての2年間で掲げたテ-マは税理士による社会貢献活動の拡充です。

社会貢献とは文字通り社会に貢献することでして、我々税理士一人一人は、業としてもっと
いえば商売として税理士業を営んでいます。これだけでも十分に社会に貢献はしている
のですが、
 私のイメ-ジする社会貢献とは、業としてでなく、一税理士個人として出来るだけ無償
或いは低廉な報酬で社会のためになる活動を行い、同時に税理士を社会の皆さまからもっと
良く知って頂くことです。

 そして社会貢献のための具体的行動として、
① 租税教育、つまり租税教室の開催を通じて、将来を担う小、中、高校生などに税の仕組
  み、税のあり方を説明し生徒さん達に考えてもらう機会にしたい。このため現在開催され
  ている租税教室の層をもっと拡充し、回数ももっと増やしていきたいと考えています。
② 税制改正要望は毎年全国の税理士から意見募集し、支部、本会、そして連合会という
  ように上部にいくにつれて意見集約され、その要望書を国税庁長官に提出しているところ
  でありますが、この税制改正要望項目についてもっと広く市民の皆さんに知って頂き
  たい。
  税制改正要望は最終的には国会議員による議決を経るわけですが、その前に
  専門知識に長けた官僚が案をまとめるわけですから、税理士がこの税制改正にかなり
  踏み込んで関わっているという現実を知って頂きたいと思います。
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横浜西部地区  税理士会緑支部について その8 [横浜西部地区緑支部]

 税理士会緑支部の支部長として、税務署及び税務懇談会の各種団体とのお付き合いは
いわば緑支部という地域としてのお付き合いです。

 この他地域としてのお付き合いという点では、緑県税事務所及び緑、青葉、都筑の各区
役所との関わりが殆どないのが気になる点ではあります。
 これは県税事務所や市役所は、不動産取得税、事業税、固定資産税、市民税など主要
な税目が賦課決定になっているためと思われます。

 つまりこれらの税目は、納税者自らが申告するのではなく、県税事務所や市役所が納税
額を決定し、納税者に税額を通知する方式になっているため、税理士の関わる場面が基本
的にないためと思われます。
 税理士は税理士法第1条に規定するように、申告納税制度つまり納税者自らが己の税額
を計算し、納付するという場面において、正しい申告及び納付がなされるよう指導していく立
場にありますので、県や市が税額を決定する局面では、税理士の出る幕はありません。

 しかし国税庁つまり国が国策としてe-Tax(電子申告)を強力に普及推進を図っている一
方で、県や市はeL-Tax(地方税電子申告)の推進にはかなり消極的であります。
 われわれ税理士からすれば、例えば法人税や消費税の申告はe-Taxで行う一方で、
法人県民税、法人事業税、法人市民税の申告については紙に打ち出し、持参或いは郵送
するということでは、業務の効率化は図れません。

 この申告手段として電子申告を普及させようとするならば、国と地方公共団体とが連携して
同時に推進を図るべきですが、未だに地方税電子申告を採用していない市町村もある位に
電子申告については対応がバラバラです。
 従って、我々税理士は県や市に対してeL-Taxをもっと推進し、国税との一元化を図るよう
強く要望しているところです。この点において、県税事務所や区役所の所長さんらと意見交換
の場をもっと作っていかなければなりません。

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横浜西部地区 税理士会緑支部について その7 [横浜西部地区緑支部]

 支部長というポジションは、東京地方税理士会本会からみれば一営業所の所長です。
緑支部からみれば、緑支部のトップであり、緑税務懇話会をはじめ地域とのお付き合い
の場では必ず出席を求められます。

 支部長になって一番驚いているのは、緑税務署をはじめ税務懇話会の方々とのお付き
合いです。
 いわば緑、青葉、都筑区内の税理士会の顔として、外交的な名誉職的なお付き合い
のみと思っていましたところ、さにあらず。
 
 緑税務署の署長をはじめ幹部の方々とは、毎月のように非公式会合を持ち、税務行政
の円滑化、効率化に向けた建設的な意見交換を行っています。
 この何年かは、国税庁が強力に推進している電子申告(通称e-Tax)の普及が議題の
中心となっています。その他租税教室、確定申告期無料税務相談運営上の諸問題など
が議題に挙がります。
 
 税務署からはお願いされることが多いのですが、これは緑税務懇話会自体が税務署を
民の立場から支援する協力団体であり、税理士もその一団体であるからです。
 
 ここで緑税務懇話会の構成団体についてご説明します。
① 税理士会
② 法人会     法人を構成メンバ-とする任意加入の団体で、構成メンバ-同士の情報
           交換活動も活発です。
③ 青色申告会  個人事業主を構成メンバ-とする任意加入の団体で、青色申告の普及
           及び 記帳レベルの向上を目的としています。
④ 間税会    間接税の代表格である消費税の期限内申告及び納付勧奨を目的とする
           任意加入の団体です。構成メンバ-は比較的規模の大きい法人が多い。
⑤ 優申会    法人の中で優良法人が構成メンバ-です。優良法人とは営業成績、税務
          行政への協力度など納税者として模範となる法人で、税務署が認定して
          します。ちなみに緑税務署管内では、その割合は1%にも満たないとのこと
です。
⑥ 納税貯蓄組合 期限内納付を勧奨する任意加入の団体です。
⑦ 小売酒販組合 酒税せ取り扱う小売の酒屋さんが構成メンバ-です。

 以上のように国税と深く関わり合いのある団体が構成メンバ-となり、税務署の行う税務
行政を、民の立場でより円滑化にならしめるためにそれぞれの団体が活動を行っています。
 毎年11月には税を考える週間があり、各税務懇話会の団体も、それに呼応した活動を
行うほか、11月半ばには、税務署及び各税務懇話会団体長からの、構成員に対する表彰
が行われます。

 私の持論ですが、税務署と税理士とは相反する立場にあらず。
逆に税務署と税理士とは、税法を基準、拠り所として税務行政を円滑に運営していくという
点において、全く同じ方向を向いています。
 
 ただ税務署は、官の立場において強制力を持って、納税者に対して申告納税を慫慂して
いくのに対して、
 税理士会は民の立場から、納税者が税法を順守しながら円滑にスム-ズに期限内に
申告及び納付をして頂くよううまく導いていく立場で、税務署のような強制力はありません
が、やっていることは基本的に税務署と同じです。
 というのも、税理士の憲法である税理士法の第1条に、申告納税制度を支える税理士の
立場、使命が明記されているからです。
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横浜西部地区 税理士会緑支部について その6 [横浜西部地区緑支部]

 金沢市は石川県の県庁所在地であり、海もあり山もあり、食べ物もおいしく人も優しい
ということで、まさに住むには最高の所でした。
 私が長男でなければ、生涯住みたい都市として永住していたかもしれないほど、この
金沢の地そして人に惚れこんでしまいました。

 しかし横浜の自宅では、両親が私の帰りを待っていました。
私は断腸の思いで2年間で金沢生活を打ち切り、K保険会社を辞職し長津田の地に
戻ってきました。
 私は法学部出身で、簿記の簿の字も知らない経理のど素人でしたが、そこから一念
発起し、I会計事務所に勤務しながら、ようやく31歳にして5科目の税理士試験科目に
合格し晴れて税理士の仲間入りを果たすことができました。

 I会計事務所では、税理士資格をとるまでは一介の職員でしたが、資格登録をしてから
ほどなくI先生より副所長を命じられ、以後7年間番頭をやってきました。
I会計事務所には、通算15年間お世話になり、平成7年7月に生まれた地横浜の長津田
にて開業するに至ったわけです。(I先生事務所下での奮戦記は、私のブログア-カイブ
勤務税理士時代を振り返って に詳しく書いてございます。)

 平成7年7月の開業、そして今平成23年8月ですから、39歳で開業して満16年が経過
したわけです。
 思えばこの16年間、仕事は一応順調に伸びてきましたが、それ以上に税理士会会務や
地元消防団員としての活動、S市会議員の選挙応援活動、大林寺の総代など仕事以外の
税理士会、地元の諸活動に追われてきた16年間でした。
 そして今も税理士会緑支部の支部長として、税理士会会務に奔走している毎日です。

東京地方税理士会緑支部の会務には、緑支部に加入してすぐに活動を始めました。

 ① 平成7年7月~平成9年3月まで  厚生部、広報部、学術研究部など7つの部の部員
                        を掛け持ちしていました 
 ② 平成9年4月~11年3月まで   厚生部副部長の他総務部員などを兼任していました
 ③ 平成11年4月~13年3月まで  総務部副部長として、当時の神奈川県会にも行って
                        いました
 ④ 平成13年4月~15年3月まで  厚生部長として活動しました
 ⑤ 平成15年4月~17年3月まで  総務部長としてきりきり舞いしながら岸支部長のお手
                       伝いをしました
 ⑥ 平成17年4月~19年3月まで 副支部長として活動しましたが、支部長の補佐役には
                       なれませんでした
 ⑦ 平成19年4月~21年3月まで 東京地方税理士会本会の理事として、広報部副部長
                       として本会の会務のお手伝いをしました
                       本会に出て、価値観が変わりました
 ⑧ 平成21年4月~23年3月まで 2回目の副支部長として、池田支部長の補佐役を務め
                       ました
                       2回目にしてようやく自分の立ち位置が分かりました
 ⑨ 平成23年4月~現在まで    緑支部の第14代支部長に就任しました
                       やるべき会務が多くて、またそのどれもが重要な会務
                       でまさに四苦八苦しています

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横浜西部地区 税理士会緑支部について その5 [横浜西部地区緑支部]

 さていよいよわが緑支部について書こうと思います。
以前緑支部の活動についてブログにも書きましたが、今回は私が支部長という
立場で書こうと思います。
(ア-カイブでは、東京地方税理士会つまり本会の広報部副部長という立場で
書きました)

 再び自分の自己紹介から始めます。私は昭和31年2月に長津田の地で生まれ、
大学まで自宅から通いました。
 自分が生まれてから22歳になるまで、昭和31年から昭和53年までですが、
国道246号線が整備され、田園都市線も大井町行ではありましたが、駅周辺も
大分都市化されてきた時期です。
私の周辺の土地も、以前は市街化調整区域でしたが、昭和40年代後半になって
区画整理事業が施行され、市街化区域となりました。

 今私の事務所の前は県営長津田団地ですが、この団地は昭和30年代に造られた
と記憶しています。(当時は長屋作りでした)
 ただ長津田駅前周辺はあまり変化がなく、田舎作りの駅だったという記憶しか
ありません。

 横浜線沿線で言えば、昭和40年半ば鴨居駅が新設され、大分後になって長津田
駅と中山駅の中間に十日市場駅、そして長津田駅と町田駅との間に成瀬駅が新設
されました。複線化となったのも、昭和50年に入ってからと記憶しています。

 とにかく田舎ながらも街が形成されていた横浜線沿線と、山を切り崩して東急が
大々的に街づくりを行った田園都市線との差は歴然で、街の雰囲気もその頃から
はっきり違っていました。

 大学を無事卒業してから就職しましたが、昭和53年はなぜか就職氷河期で就職
に大いに苦労しました。大学での「優」の数は36個と大分頑張ったつもりでしたが、
サ-クルやゼミに入らず、帰宅部を選択し、授業と雀荘通いの日々でしたから、面接で
自分をアピ-ルする材料がこれといってなく、これが苦戦の原因でした。
 自分にとっては、大学の4年間は今となって振り返れば、西洋史でいう暗黒の中世
時代さながらに、何も収穫のないただ徒に年だけが経過した無駄な4年間でした。

 苦戦した就職活動でしたが、一応中堅損保会社に滑り込むことができてほっとした
のもつかの間、最初の赴任地が石川県金沢市という、自宅から一歩も離れたことのない
甘えん坊の自分にとっては大変な驚きでした。
 ただ自分にとってはこれでようやく親元から離れることができる、未知の人生が待って
いる、とうきうきの気分でした。
 一方両親特に母親にとっては、一応旧家の長男が地方へ転勤ということだけで、かなり
動揺していました。地方企業ではなく全国企業に就職したのですから、考えてみれば
当たり前なのですが、母も最初ぐらいは通勤圏内だろうと思っていたようです。

 2年間の損保生活は楽しいものでした。自分は損害保険調査課という、査定業務つまり
保険金を支払う方の業務に就きました。
 K保険会社では大学新卒男子には、厚木で4週間の研修を施し、しかる後に各部署へ
送り込むという教育方針を採っており、私も金沢勤務はゴ-ルデンウィ-ク明けとなりま
した。

 その頃は時代的にも高度経済成長で会社の業績も順調に伸びていましたから、新卒
社員にいきなり即戦力を求めることはしていませんでしたので、自分も3年間かけて一人
前になればよいのだ、という意識で、よくいえば伸び伸び、悪く言えばのんびり仕事をやって
いました。上司の課長さん、課長代理さんもとてもこの使い物にならない若造を可愛がって
くれました。

 査定業務とは保険金の支払業務ですが、保険金を適正支払うことです。
自動車事故(私は新米なので難しい対人査定業務ではなく、対物査定業務をやっていま
した)の場合、加害者が100%悪いということはむしろ少なく、殆どのケ-スで相手方との
過失割合の認定がポイントとなりました。また車両の損害程度が板金で済むものか、それ
ともパネルごと交換を要するかなども交渉のポイントとなっていました。
 特に新車をぶつけた場合、必ずといってよいほど相手方はパネル交換を要求します。
人によってはささいな傷なのに新車に交換しろ、といってくるケ-スもあります。

 アジャスタ-といって、修理工場の人と車両の損傷度合いに応じて修理の方法を交渉
する物損事故のプロに交渉は任せるのですが、そのプロがした交渉を私のような新米が
見るのですから、はっきり言って分かるはずがありません。
 アジャスタ-の方に懇切丁寧に交渉の過程、修理か交換かの適否判断のポイントを
教えてもらう日々でした。

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横浜西部地区 税理士会緑支部について その4 [横浜西部地区緑支部]

 東京地方税理士会の管轄区域は、すでに述べましたように神奈川県と山梨県です。
この2県に合計20の支部があります。神奈川県に18支部、山梨県内は2支部です。
東京地方税理士会の登録個人会員は約4580名で、うち4270名が神奈川県内所属
です。

 神奈川県内18支部約4270名の個人登録税理士のうち、横浜市内には7つの支部
があり、この7支部で2200名余の個人登録税理士がいます。
 つまり、神奈川県内の税理士の半数以上は、横浜市内の税理士で占められている
ことになります。

 20支部の個人登録税理士の数は、横浜市中区、西区をテリトリ-とする横浜中央支部
が600名余りで最も多く、以下横浜南支部、神奈川支部と続き、わが緑支部は300名余り
で4番目に大きい支部となっています。

 わが緑支部は、横浜市内18区のうち、北西部である緑区、青葉区及び都筑区に事務所
の所在がある税理士の集まりです。

 東京地方税理士会内の20支部にも規模の大小や地域性の差がかなりあります。
神奈川県は面積が小さくても、海あり山あり温泉ありですし、東京都心にもほど近く東京都
のベッドタウン的な市も多くあります。山梨県は山に囲まれた県で甲府がその中心です。

 緑支部管轄区域である緑区、青葉区、都筑区の特徴は何と言っても緑被率が高いこと
そして住む人たちの所得層が高いことです。

 緑被率とは、各区の面積のうち緑地の占める割合のことをいいますが、このうち緑区の
緑被率は何と40%を超えています。
 つまり山林や田畑がそれだけ多い、田園地帯であるということです。

その一方で、横浜市青葉区青葉台やたまプラ-ザ駅周辺、横浜市都筑区の港北ニュ-
タウン地区や池辺町地区、緑区長津田みなみ台地区には大型ショッピングセンタ-があり、
大型の総合病院も多く点在しています。
 また田園都市線沿線や市営地下鉄線沿線の各駅の街並みはゆったりと、緑豊かな中に
おしゃれな雰囲気で作られており、都会と田園が融合した新しい価値観を感じさせる街づくり
がされています。

 この3区特に青葉区には多くのスポ-ツ選手や会社役員が住んでいて、平均所得層が
高いことも特色です。また青葉区は私学中学校進学率が神奈川県下一高いことも、所得層
の高さを裏付けるとともに、インテリ層が多いことも裏付けるものです。

 この地域は横浜市の北西部にあるため、都心に近い上に横浜市の中心部にも約30分
以内に行ける立地の良さが、東京都区から多くのインテリ層が引っ越してきている最大の
要因になっていると思われます。

 そうしたインテリ層とともに、片や先祖代々からの土地を有する元農家或いは現役農家の
方々は、横浜市の都市計画もあって今でも山林や田畑を有し保全しています。

 私のホ-ムペ-ジのトップに、この地域に住む男女の平均年齢が全国一であると書いて
おりますが、横浜市青葉区が男女ともにベスト10以内、(男か女かそのどちらかは第1位)
横浜市緑区も男女ともにベスト30以内に入っております。
 まさに住みやすさと適度に田舎の環境、そして所得層の高さや教育レベルの高さが総合
して得られた結果であると思います。
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横浜西部地区 緑支部について その3 [横浜西部地区緑支部]

 さてそんな田畑と丘陵地帯に囲まれた田舎で育った私の遺伝子は、
根っからの農耕民族そのものです。
 横浜市といっても長津田のある緑区(旧港北区)や戸塚区、瀬谷区
といった西部地区は、海に全く面していない地区ですから、ハマッ子
と言われてもピンときません。

 私は中学校から横浜市中区山手にある私立に通いましたが、その生徒
の大半は横浜市中区、西区、南区、金沢区、神奈川区といった横浜市の
中心部から通っている生徒でして、横浜線を使って通学する生徒はほんの
少数でした。
 彼らからは、横浜線通学組の我々(といっても数名)をよく「どこの山
奥から出てきたんだ、山猿め!」などと失礼なことを平気で言われました。

 私の中、高校時代ですから昭和43年~48年にかけてですが、横浜線
は単線で、車両もこげ茶色のいかにも田舎電車の風情でしたし、電車の中
も床が木で走るとギシギシ音を立てていました。横揺れも激しく乗り心地
はお世辞にも良いとは言えませんでしたが、不思議に座ると良く寝れまし
た。あの音と揺れが逆に良いリズムで睡魔を誘ったのかもしれません。

 当時緑区は港北区の一部であり、後に横浜市の人口が急激に増加していく
中で、港北区から緑区が分離し、さらに緑区から青葉区が分離し、港北区の
一部と青葉区の一部が都筑区に分離し、現在の横浜市18区となりました。
(他に戸塚区から栄区や泉区などが分離していますが、ここでは省略します)
 
 緑税務署は、緑区が港北区から分離した際、当時の神奈川税務署から昭和
60年に分離新設されました。
 これを受けて東京地方税理士会緑支部も、昭和60年7月23日に神奈川
支部から分離新設されました。
 当時は東京地方税理士会は、神奈川県、千葉県そした山梨県の3県をその
テリトリ-としていましたが、後に千葉県が分離独立した結果、現在では
神奈川県と山梨県の2県を管轄領域としています。

 緑支部が誕生した当時の支部会員数は96名だったそうです。現在は約
300名強の会員数を抱えるまでになりました。
 つまり26年間で3倍以上の会員数になったわけでして、これだけの伸び
率となった支部は全国にも例がないそうです。
 ちなみに緑税務署の署員数も現在170名余ですが、発足当時はその2分
の1程度であったそうです。
 いかにこの地域が短期間に急激な都市化を遂げたかがお分かりになると
思います。
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横浜西部地区 税理士会緑支部について その2 [横浜西部地区緑支部]

 私の生まれた昭和30年代というと、敗戦国日本がようやく戦後復興を遂げ、
さあこれから高度経済成長に向かおうという、日本全体が一番元気でヤル気
に燃えていた時代であったようです。

 自分の住んでいた長津田地域にも、地方から人が押し寄せてきて、急速な
都市化が進んでいました。
 自分が生まれる前、昭和の初めごろの写真が家にありますが、その写真
に写っているのは山と川そして田畑であり、家は田畑の間に点々と数える
ほどしかありません。
 
 私の幼少の頃は、国道246号線の南側に岩川が走り、その周辺は一面
田圃でした。今その面影が残る地域と言えば、横浜市青葉区寺家町です。
なつかしき里山の風景。
今も私のふるさとの光景が脳裡に焼き付いています。

 昭和30年代後半から急に都市化が進みだし、昭和39年ごろに今の国道
246号線が開通しました。時をほほぼ同じくして東急田園都市線が開通
しました。
 当時田園都市線は現在でいう大井町線で、自由が丘経由で大井町まで
行っていました。
 見渡す限りの田園地帯を電車が走る何ともロ-カルな風景でした。
開通して間もなく、親子で田園都市線を始発駅である長津田から終点駅で
ある大井町まで乗る旅に出かけました。
 まさにピクニック気分で、子供心にこんな田舎で何もないところにも電車
が走るんだ、と不思議な気分で窓の外の風景を眺めていました。

 特に今の青葉区青葉台、あざみ野、たまプラ-ザといった今をときめく
おしゃれな街は、長津田よりもひどく人家すら見当たらない、見渡す限り
の丘陵地帯でした。まさに山、丘を切り開いて鉄道を敷いた、それが
田園都市線の始まりです。
 当時両親からは、今の青葉区、都筑区は横浜のチベット地帯と言われ、
人よりもタヌキやキヌネの方が多いのでは、と言われたまさに山里でした。

 長津田駅周辺は、国鉄横浜線の停車駅でもあり、江戸時代には大山詣で
の宿場町として賑わった街でもあり、当時は長津田周辺か都筑区の川和町
周辺が文化の中心でしたので、田舎育ちの私からみても田園都市線から
見る車外光景はとても新鮮でした。

 昭和39年と言えば、東京オリンピックの開催年です。首都高速道路も
その頃に完成していると聞いていますし、この頃から日本が本格的に
高度経済成長路線に完全に乗って、飛躍的な発展を遂げる分水嶺となった
あたりの時代です。

 古き良き時代の感傷が長すぎました。が読者の方々には、横浜とは言え
如何に長津田そして緑区、青葉区が片田舎であったか想像がつくと思います。






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